常総市/デジタルミュージアム

坂野家書画資料解説

「坂野家の書画資料」について

坂野家三代の書

  • 七言絶句「奉賀曽祖羅淳先生六十初度」
  • 坂野公堂書


 本作には「奉賀 曽祖羅淳先生六十初度 曽孫坂平拝題」の添え書きがあるが、旧軸装裏面の外題「公堂詩 行齋所藏」と、その傍らに貼付された「公堂俗称梅之丞。坂野信壽之嫡男。嘉永六年癸丑三月、齢十六而没。此書則前年所書也」(ともに坂野行斎筆。句読点、解説者)から、坂野家12代当主行斎(名は信寿、1821-93)の子公堂(名は平、通称梅之丞、1838-53)が嘉永5年(1852)、曽祖父すなわち10代羅淳の還暦の初度(誕生日)祝宴で詠んだ七言絶句を揮毫したものとわかる。本作と上記の公堂略伝により、10代羅淳ともども、嘉永6年3月に16歳で夭折した公堂の生涯が判明した。
 詩は「養國豈期緑髪翁。衆賓獻壽五雲中。慶筵詩就何羞恥。兄弟幷齢不半公」で、「多くの客人が集った祝宴で成った詩を、どうして恥ずかしく思う必要があろうか。私と弟蕃則(通称伊左衛門、1843-1904)の年齢を合わせても曽祖父の齢の半分にもならないのだから、未熟な漢詩であっても献じよう」といった内容である。丁寧な行書で、「奉賀」と「曽祖羅淳先生」の間を欠字とし、詩中でも「弟」を平出とする一方、自身のことである「兄」を行尾に置くという謙虚な作法である。
 が、「相圃醉民」朱文落款印は15歳のものとは思えぬ。その下の白文印は篆刻家の刻ではないが「波南詩顚」で、白文引首印の「清癡」も含め(両顆は草野剛氏の教示による)、月「波」楼の「南」に所在する弘経寺の梅「痴」の自刻印を借用したと察せられる。平生、漢詩も梅痴(1793-1858)の指導を受けていたのであろう。なお、この「波南詩顚」白文印は、嶺田楓江(1817-83)の七言絶句「訪耕雨詞兄賦之以呈」にも捺されており、これも草卒のことにて梅痴から借用したとみてよい。
 なお耕雨も、父羅淳の華甲を祝って「壽家翁六十初度」(家翁の六十初度を寿ぐ)と題する長編の漢詩を詠み、それは『月波楼遺稿』32丁表(耕雨遺稿廿三丁表)に所収されている。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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