常総市 デジタルミュージアム

国指定重要文化財「坂野家住宅」

坂野家とゆかりの人々 

坂野耕雨(さかのこうう)
享和2年(一八〇二)~文久2年(一八六二)
作品:七言二行詩(坂野家住宅仏間)、蘭亭序

坂野家第十一代当主。名を福・久馬・義敬といい、八代当主豊昌の孫にあたる。古潭村(現下妻市)古澤久右衛門治居の次男として生まれ、のちに十代当主祐慶の養嗣となる。
 耕雨は「深智慎蜜」な性格とともに経済の才に優れ、激動の幕末期にあってよく坂野家の経営にあたり、おおいにその家勢を盛り立てた。
 また、幕末の漢詩人・梁川星厳の塾に学んで自らの文化的素養を高めるとともに、近郷近在はもとより江戸などからも多くの文人墨客を招へい・交流し、当地方の文化の発展に大きな貢献を果たしている。書院(「月波楼」)はその拠点として使われ、数百点の書跡絵画が残された。これらは後に『月波楼遺稿』として、明治二十一年に耕雨の嗣子である第十二代当主行斎によって上梓される。
 その号「耕雨」は、“晴耕雨読”に因むもので、まさにその人となり・生き様を表している。
 文久二年九月十九日死去。享年六十歳。
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坂野行斎(さかのこうさい)
明治26年(1893)没
作品:樗下脱散(坂野家住宅二の間)
名は信寿、字は至堅、号は行斎。十一代当主坂野耕雨の嗣子で、十二代当主となる。家居清約、若くして老成人の風格を持ち、豪気な人物であったという。
 山水の遊を好み、西南諸州の名勝を訪ねて西往紀行二巻、同詩草一巻を記している。学者肌の人物で、月波楼に残された書画の分類整理も手がけ、また耕雨の「月波楼遺稿」も彼の手により刊行された。「坂野家墓所石塔図」を表し、家系の整理も行っている。

 
坂野公堂
坂野行斎の嫡男
作品:七言絶句(嘉永6年)