水戸市立図書館/デジタルアーカイブ

水戸の町名

改訂 水戸の町名 地理と歴史

[上市(うわいち)の部]

金町二丁目


金町二丁目

上金町(かみかねまち)
 上金町に隣接する町は、東が鉄砲町・西町、西が下金町、南が五軒町、北が桜町となっていた。
 佐竹氏の時代には金町という町名はなく、徳川氏時代になってから生まれた町名であって、もとは木町(きまち)と呼ばれていた。それは、元和二年(一六一六)に西町の商家がこの地に移され、更に寛永年間にも大町や仲町の商家がここに移され、材木の売買をする商人が多かったことに由来する。その後、木町の西を新木町(後の下金町)と呼ぶようになってからは、ここは本木町と呼ばれた。しかし、元禄九年(一六九六)一月に新木町から出火し本木町にまで延焼するなど以前から火災が多く、そのため同年防火の願いを込めて本木町を上金町、新木町を下金町と改めた。これは城に近い位置が上であり、遠い位置が下とされたからである。
 上金町は町屋敷で、天保年間の「水戸上下御町丁数調書」によれば、一町目は間数が南側七五間余、北側六七間で家数は三三軒、二町目は間数が南側六五間余、北側六六間で家数は二七軒、三町目は間数が南側六三間、北側六〇間で家数は二九軒とある。
 北に接している桜町は、もともとはこの町の一部であったが、元禄七年六月に分離されて武家屋敷となった。上金町の南側片面は武家屋敷で、そのほとんどが二〇間ずつに割られていた。
 またこの地には寺院も多くあり、寛永年間には、玉蔵院(ぎょくぞういん)・善授院(ぜんじゅいん)が大町から、天学院(てんがくいん)は仲町から、そして大覚院(だいかくいん)も移って来た。その後、寛文六年(一六六六)に玉蔵院・善授院は破却され、天学院・大覚院は別の地に移された。
 町役人は、上金町と鉄砲町のうちから名主一人が選ばれた外に、この町には組頭三人がいた。
 上町の市は、西町の六斎市が下町に移された後は、この本木町に新六斎市が立てられた。市日は六日、十日、十六日、二十日、二十六日、二十九日であった。ところが、この新六斎市も後には下町に移されたという。そのため本木町では古来の市日の返還を願い出て、延宝八年(一六八〇)六月ようやく月のうちの六日、十六日、二十六日の三回の三斎市が返還され、元禄八年十二月から市日は、十日、二十日、二十六日に変更されている。その後宝永四年(一七〇七)十一月、商業の発展を反映して上町にも六斎市が立つようになり、月のうち六日と二十日が上金町、十日と十六日が下金町、二十六日と晦日が本荒町(後の泉町)に市が立った。
 この上金町の通りは、宇都宮、茂木方面から馬口労町を経て城下に到るところで、商人の出入りも多く、文化五年(一八〇八)に公定された宿屋株二〇軒のうちここには内田屋惣兵衛、三河屋茂左衛門、山田屋惣助、大津屋兵衛の四軒が見られる。
 また毎年六月九日の上町天王祭は、上金町と下金町隔年で行ない、屋台踊りや作り物が多数出て、見世物小屋などが立ち並び、長唄・声色・浄瑠璃・軽業などの小屋が掛けられ、近郷近在の人々を集めたという。
 寛延ごろには、上金町入口、同町広小路北角に木戸と自身番があり、寛政ごろの城下図を見てもここに木戸が描かれている。
 火事対策の天水桶は、上金町札場、同町三町目北、同町角などに置かれていた。
 明治六年には第二大区第四小区に、同八年には第一大区第一小区に、同十五年には長町連合村に、同十七年には上市連合村に、同二十二年には水戸市上金町となった。
 大正十五年には、この町に井戸の数が四八、昭和四年には五六あった。
 上金町は、昭和四十二年六月に五軒町一丁目、五軒町二丁目、金町二丁目となった。
桜町(さくらまち)
 桜町は、台地北端にあって、東には桜坂又は滝坂(了性寺(りょうしょうじ)坂とか高尾前の坂といわれていたのを元禄三年に桜坂と改称)があって鉄砲町に接し、西は寺町、南は上金町、北は霞町・根本町に隣接していた。
 この地は、もと本木町(後の上金町)に属していたが、元禄七年六月に一八八間余が分離して桜町となり、武家屋敷となったところである。寺町の東隣りにあったため、もとは寺院が多かった。慶長三年(一五九八)には、本行寺(ほんぎょうじ)(日蓮宗)をはじめ、江林寺(こうりんじ)(臨済宗)、吉祥院(きっしょういん)(真言宗)、龍蔵院(りゅうぞういん)(同)、不動院(ふどういん)(同)、善重寺(ぜんじゅうじ)(浄土真宗)、高野坊富士別當富士権現(ふじごんげん)や、元和二年(一六一六)に梅香より移された本法寺(ほんぽうじ)(日蓮宗)などもあったが、これらの寺院は寛永六年(一六二九)には他の地に移された。また、桜町の東角の地には宝永五年(一七〇八)青柳村(市内)から了性寺(りょうしょうじ)が移され、それも享保十六年(一七三一)に再びもとの青柳村に移されたため、以後その跡は武家屋敷とされた。
 寛政九年(一七九七)には、一四軒の武家屋敷がかぞえられ、同じころの城下図を見ると、ここにも木戸が描かれている。
 桜町の北には二、三軒の屋敷があり、それを裏町と呼んだこともあったが、その町の詳細は明らかでない。

天保期の桜町

 明治六年には第二大区第一小区に、同八年には第一大区第一小区に、同十五年には長町連合村に、同十七年には上市連合村に、同二十二年には水戸市桜町となった。
 大正十五年には、この町に井戸の数が九、昭和四年にも九あった。
 桜町は、昭和四十二年六月に金町二丁目、金町三丁目となった。

旧桜町 滝坂付近(金町2丁目)