水戸市立図書館/デジタルアーカイブ

水戸の町名

改訂 水戸の町名 地理と歴史

[上市(うわいち)の部]

大町三丁目


大町三丁目

西町(にしまち)
 西町は、西南北の三方から府城に入る路の会するところで、佐竹氏在城の時に開かれ、城下町の西にあったために西町と名付けられた。
 佐竹氏時代には、上町と下町は別々に市が立ち、上町の中心はこの西町で、月のうち三と八のつく日、すなわち三日、八日、十三日、十八日、二十三日、二十八日の六回開かれる六斎市であった。
 元和二年(一六一六)には商家が上金町に移り、更に寛永初年の「田町越」で町人の移動があり、その跡は武家屋敷となった。そのため、ここに開かれていた六斎市も下町に受け継がれた。
 元白銀町から仲町・西町に通る町割は、東側が東西に八七間と五七間半、中央は七九間半と五九間半、西側では一〇六間と五九間に割られていた。紀州堀を背にして東向きに並ぶ屋敷は、西町に属し、南北一五六間、奥行三〇間内外である。ここに寛文年間には梶川弥三郎(一千石)、大森平左衛門(八百石)、筧助太夫(一千石)ら重臣の屋敷があり、これら重臣を配したことは、防御上の必要によったものと考えられる。
 元禄九年(一六九六)一月には、新木町(のちの下金町)からの出火によってこの町も延焼し、数軒の武家屋敷が灰になった。
 その後寛政九年(一七九七)には一二軒の武家屋敷がかぞえられる。

文政7年の西町

 明治六年には第一大区第一小区に、同八年も第一大区第一小区に、同十五年には田見小路連合村に、同十七年には上市連合村に、同二十二年には水戸市西町となった。
 大正十五年には、この町に井戸の数が一九、昭和四年には三二あった。
 西町に隣接する町は、東が大町・仲町、西が鉄砲町、南が南町、北が田見小路となっていた。
 西町は、昭和四十一年四月に南町三丁目、泉町一丁目、大町三丁目、五軒町一丁目、金町一丁目となっており、この地には、水戸営林署、水戸五軒町郵便局がある。