酒田市立図書館/光丘文庫デジタルアーカイブ

解説文

地図

全国主要都市戦災概況図附図第十六酒田市

(ゼンコクシュヨウトシセンサイガイキョウズフズダイジュウロクサカタシ)



全国主要都市戦災概況図附図
第十六酒田市

時期:昭和
作成年:昭和20年12月
所蔵:酒田市立光丘文庫

太平洋戦争中、酒田は二度の空襲を受ける。一度目は昭和20年(1945)6月30日午前零時半ごろ、酒田港一帯にアメリカ軍B29による機雷(船がぶつかると爆発する爆弾)投下が行われた。これが山形県初の空襲である。1ヶ月以上たった8月6日にこの機雷にふれた酒田港所属の浚渫船(しゅんせつせん)阿賀丸が爆沈。行方不明者2人、重傷者3人、軽傷6人の被害者がでた。二度目の空襲は8月10日午前9時半頃より午後0時5分までの間にアメリカ軍艦載機グラマンF6Fによる二回の空襲があった。主に港湾施設や工場地帯が襲撃され、酒田第一国民学校(旧琢成小学校)、山形造船所、酒田駅周辺、鉄興社大浜工場第三工場などが損壊または焼失し、死亡16名、行方不明14名、負傷者33名の被害があった。写真の地図は二度の空襲による被弾区域と焼失区域を示している。この地図は、昭和20(1945)年12月、戦災の概況を復員帰還者に知らせるために第一復員省資料課によって作成された「全国主要都市戦災概況図」の中の1枚。(参考文献 酒田本の会『酒田市制50年』酒田市教育委員会『ジュニア版酒田の歴史改訂版』)

 


 

SAKATA,YAMAGATA PREFECTURE



SAKATA,YAMAGATA PREFECTURE

時期:昭和
作成年:昭和19年9月
所蔵:個人蔵

太平洋戦争が始まった昭和16年(1941)に軍事用地図を作成することを目的に米陸軍省内に設置された部門Army map Serviceが作成した地図で、15万分の1地形図(昭和11年 陸軍省陸地測量部)、2海図(明治31年)、3航空写真(昭和4年以前撮影)、4合衆国水路部(USHO) 灯台一覧(1944)、5鉄道省編纂汽車時間表(昭和16年)の情報をもとに作成されたもの。酒田市は昭和20年8月10日午前9時18分から約3時間に渡り、米海軍空母ベニントン、空母レキシントンの艦載機計27機による空襲を受け、港湾地区を中心に死者・行方不明者計30名、負傷者33名を出す被害を出しているが、米軍は日本の地方小都市の詳細も把握したうえで攻撃を実施していたことがわかる。なお、この地図には現在の松原南付近に弾薬庫が表示されているなど、国内で流通していた地図には表記のない機密情報も掲載されており興味深いほか、Army map Serviceが作成した酒田の地図だけでも3種類が確認されている。

 


 

更新酒田市街図

(コウシンサカタシガイズ)



更新酒田市街図

時期:昭和初期
作成年:昭和5年頃
所蔵:個人蔵

昭和5年は酒田町の時代である。酒田町の中心地を拡大して描いている。学校や小路名が記してあり、一目で町並が理解できる地図である。現在の総合文化センター前を「末広町」と表記しており、この名称は大正中期から戦後にかけて使われていた名称であるが、正式な町名ではない。

 


 

酒田市最新明細地図

(サカタシサイシンメイサイチズ)



酒田市最新明細地図

時期:昭和初期
作成年:昭和8年5月1日
所蔵:個人蔵

酒田市民が待望した市制施行を記念して、「東京日日新聞」の酒田専売所であった荘司新聞店(外野町)が発行した地図。鶴岡の市制が大正13年(1924)に施行されており、大正3年から市制施行を模索してきた酒田町としては記念すべき市制施行であった。なお、市制施行前の印刷物においては「酒田町」という表記をあえて避け、「酒田港(湊)」という表記を用いている例が多数みられる。この地図は当時の一般の地図としては珍しく、行政区域が明確に記されており、8年後に酒田市に合併することになる西荒瀬村酒井新田地区や中平田村浜田地区との境界線がはっきりと読み取れる。

 


 

観光案内パンフレット

(カンコウアンナイパンフレット)



観光案内パンフレット

時期:昭和初期
作成年:昭和9年1月1日
所蔵:個人蔵

縣社日枝神社・日和山公園・本間家別荘・光丘文庫・光ケ丘松林、等々の酒田の観光スポットが写真入りで説明されている。また、裏面には酒田市鳥瞰図が描かれており、待ちに待った市制施行に伴い、築港完成により酒田を売り込もうとする意気込みが感じられる資料である。

 


 

酒田市街図

(サカタシガイズ)



酒田市街図

時期:昭和初期
作成年:昭和14年頃
所蔵:個人蔵

「防諜」のスタンプは、日中戦争が泥沼化し、米英との戦争が近づいていることにより、国全体がスパイに地図等の国内情報が渡ることに神経をとがらせていた当時の世相を反映している。酒田の中心部は町内名まで詳細に記されてある。なお、従前は畑地であった北千日堂前が昭和13年(1938)に始まった区画整理事業により既に市街化されてきていることがわかる。

 


 

酒田市街図

(サカタシガイズ)



酒田市街図

時期:昭和中期
作成年:昭和24年頃
所蔵:個人蔵

戦後まもない頃の市街図。昭和22年に学制が変わったことに伴い、新制中学、高校の名称が見られるほか、戦前には報恩会以外に存在しなかった福祉施設(保育園、母子寮、養老院)が見られるようになったことが戦後を表している。