酒田市立図書館/光丘文庫デジタルアーカイブ

解説文

書物

酒田新聞

(サカタシンブン)



酒田新聞

時期:明治
所蔵:酒田市立光丘文庫

酒田新聞は明治21年(1888)に結成された「飽海有恒会」の機関紙として明治25年(1892)に創刊された。主幹は中村弘、主筆は佐藤良次である。「飽海有恒会」は酒田地主層を中心とした飽海農談会の系譜をひき、会長には本間家第6代当主・光美が就いていた。『荘内案内記』(佐藤良次編集)には酒田新聞について「非政友を主義として有りしが現今は不偏不党である」と評している。

 


 

両羽博物図譜      

(リョウウハクブツズフ)


松森胤保(マツモリタネヤス 1825~1892)が秋田・庄内地方の動物・植物・昆虫等を精緻な彩色を施して記録した図鑑で、山形県有形文化財に指定されている。全59冊の図譜は、「獣類図譜」「禽類図譜」「爬虫類図譜」など7部からなり、ほとんどの図について写生月日、寸法、所見等を詳細に記録している。また、長年の観察に基づいた独自の方法によって動植物を分類しているのも特徴的である。【山形県指定文化財】酒田市立図書館ホームページでは『両羽博物図譜』全59冊が閲覧できる。

 


 

酒田大震災実況図

(サカタダイシンサイジッキョウズ)



酒田大震災実況図

時期:明治
作成年:明治28年
所蔵:酒田市立光丘文庫

明治27年(1894)10月22日、午後5時37分、庄内地方を中心とした大地震が発生し、飽海郡、東西田川郡が甚大な被害を被った。酒田町の被害状況は死者162人、負傷者223人、全壊240戸、壊329戸であった。『大震災実況図』はこの時の酒田町の惨状を描いた絵巻物である。この絵巻物を著したのが当時、酒田に滞在していた秋田の画家・生駒大飛である。『大震災実況図』は以下の10の図で構成されている。1の図・伝馬町實景二十二夜写所見、2の図・観音寺實景同夜所見、3の図・観音寺鰻亭参状二十三日午前写之、4の図・以下於船場町 写生、5の図・今町弁天社内仮小屋、6の図・海光(向)寺、7の図・山王神社、8の図・晏祥寺 四日後大潰、9の図・祥(浄)福寺、10の図・名称不記倒壊家屋の図。『大震災実況図』は「明治甲午十一月二十二日酒田大震家屋大潰危急九死得一生、其惨状有眼、因以製其図、以送堀雅兄、干時乙未春三月大飛(印)」と結ばれており、生駒大飛がこれを完成させたのは明治28年(1895)であることがわかる。【酒田市指定文化財】

 


 

酒田文庫

(サカタブンコ)



酒田文庫 関連資料

時期:明治
作成年:大正14年
所蔵:酒田市立光丘文庫

酒田書籍購読会を酒田文庫と改名したことにより、新しく酒田文庫縦覧規則が規定され、酒田文庫の総裁には、酒田町長、県会議員、衆議院議員を務めた池田藤八郎(イケダトウハチロウ 1862~1911)が任用された。

 


 

飽海郡誌

(アクミグンシ)



飽海郡誌

時期:明治
作成年:大正12年
所蔵:酒田市立光丘文庫

『飽海郡誌』(あくみぐんし)は郷土史家で上の日枝神社宮司の齋藤美澄(サイトウヨシズミ 1857~1915)によって書かれた。『飽海郡誌』は十巻からなる。その内訳は次の通り。「古代から近世までの通史」「庄内の風俗や自然」「酒田の各町」「松嶺」「平田」「八幡」「遊佐」。『飽海郡誌』に掲載されている史料が現在、不明なものもあり、体系的に酒田飽海地域の歴史を知る上においてこのうえない貴重な書籍となっている。

 


 

酒田書籍購読会

(サカタショセキコウドクカイ)



酒田書籍購読会 関連資料

時期:明治
所蔵:酒田市立光丘文庫

酒田書籍購読会は明治34年(1901)10月、神尾一直、池田定祥、成沢直太郎、松浦孝之助、等有志15名で組織された酒田で最初の図書館。書籍購読会は賛成員(会員)制を採り、賛成員が会費を拠出し、それを元に書籍を購入して、本の貸し借りを行っていた。酒田書籍購読会については光丘文庫が所蔵する『酒田書籍購読会一途』に詳しい。

 


 

酒田写真倶楽部

(サカタシャシンクラブ)



酒田写真倶楽部

時期:明治
作成年:明治43年
所蔵:酒田市立光丘文庫

西田柳渓、伊藤悦太郎、加藤孝次郎らが酒田写真倶楽部をつくり写真集を刊行する。明治42年(1909)6月発行の第1集は風景写真を集め、翌年1月発行の第2集では写真のほかにも第1集に掲載した写真の評を載せている。(参考文献 酒田市史編纂委員会編『酒田市史年表改訂版』より)

 


 

酒田港誌

(サカタコウシ)



酒田港誌

時期:明治
作成年:昭和9年
所蔵:酒田市立光丘文庫

「酒田港誌」は573年から1933年までの酒田の出来事を編年体で書いた書籍である。同誌を見ることにより、酒田の歴史を詳細に知ることができる。

 


 

文庫

(ブンコ)



文庫

時期:明治
作成年:昭和13年
所蔵:酒田市立光丘文庫

財団法人光丘文庫創立十五周年記念の一環として昭和13年(1938)に設立された酒田文化協会の機関誌。編集発行人は光丘文庫長であり酒田文化協会会長の白崎良弥。酒田の歴史・芸能・民俗などをテーマに酒田の学識経験者が原稿を寄せ、極めてアカデミックな機関紙であった。昭和16年(1941)11月7日の第41号をもって廃刊となったが、昭和40年に創刊され、現在も続いている酒田市立図書館報「光丘」にその精神は受け継がれている。

 


 

酒田商業日報

(サカタショウギョウニッポウ)



酒田商業日報

時期:明治~昭和初期
作成年:明治後期~昭和初期
所蔵:酒田市立光丘文庫

「酒田商業日報」の前身は明治31年(1898)7月に発刊された「商要魁日報」である。発行編集人は大久保儀右衛門。同年10月15日の第14号から「酒田商業日報」と名前を変更し、昭和10年代まで発行された。「酒田商業日報」に名前を変えた理由について「酒田のみに留まらず全国市場の動静を詳報に敏なる各位に酬(ムク)ゆる所あらん」(『商要魁日報』第12号)としている。往時、「酒田商業日報」は商都・酒田を代表する商業新聞であった。

 


 

荘内案内記

(ショウナイアンナイキ)



荘内案内記

時期:明治期
作成年:明治38年
所蔵:酒田市立光丘文庫

『荘内案内記』は文筆家で郷土史家の佐藤良次(1871~1930)が発行した庄内観光案内の本である。庄内の景勝地の写真をはじめ神社仏閣、会社、料亭の案内が詳細に記されている。また、旅館や商店の広告なども掲載している。『荘内案内記』は明治の庄内人の生活を知る貴重な資料となっている。

 


 

酒田大震真写図

(サカタダイシンシンシャズ)



酒田大震真写図

時期:明治時代
作成年:明治28年1月31日
所蔵:酒田市立光丘文庫

明治27年(1897)10月22日夕方、庄内地方を中心に起こった大地震の惨状を伝える石版画で、6枚が絵の描かれた袋に収納されている。発行は今町の池野伝左衛門で、地震から3か月後の明治28年1月末。以下の6場面が描かれており、うち4場面は地震直後に撮影された写真と同じ構図であり、写真をもとに描かれたものと推測される。「酒田尋常高等小学校大震潰倒之図」「酒田大震浄福寺崩壊之図」「酒田大地震出町潰家之図」「酒田本町大激震烈火中へ民狼狽之図」「酒田大震船場町湯屋潰烈火焼死之図」「酒田船場町旅乃宿大震大火遭遇之図」。

 


 

北征記事      

(ホクセイキジ)


松森胤保(マツモリタネヤス 1825~1892)が松山藩軍務総裁と庄内藩一番大隊参謀を兼ねて出兵した戊辰東北戦争の詳細を、帰還後に陣中日記から写しまとめた記録集である。胤保率いる藩隊は、慶応4年(1868)7月から、新庄、中村、横手、花楯、角館、上淀川と転戦、いずれも勝利をおさめたが、「明治」と改元した同年9月、奥羽越列藩同盟の崩壊により撤兵。同月27日、庄内藩は薩長軍(政府軍)に降伏した。降伏後、藩主とともに松嶺から上京。明治2年(1869)2月、松山改め松嶺藩の執政、公議人(明治政府の議事機関として開設された公議所に各藩から1名ずつ任命された。)に任ぜられる。8月松嶺に帰着。翌3年6月、松嶺藩大参事に任ぜられる。『北征記事』は、出征の経過や松山藩の軍令、戦闘状況などの詳しい記事と絵図、計6冊からなり、ことに鳥瞰的な構図と豊かな色彩の絵図は戦況記録の域を超えている。胤保は激動の最中の数年で『北征記事』を完成させた。絵図は胤安が草稿(下書き)し、山寺村(現酒田市山寺)の神官と農民が精写したものと書かれている。【山形県指定文化財】(参考文献 『出羽松山藩の戊辰戦争 松山町史史料編第一輯』)