酒田市立図書館/光丘文庫デジタルアーカイブ

酒田市史年表

昭和期

昭和(1926~1989)

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昭和27年19521月16日南鳥海駅が正式に駅となる。
1月21日木材乾燥場と工芸指導所が竣工する。(酒田市議会史年表)
2月23日酒田市社会福祉協議会が設立する。(上に同じ)
2月酒田港航路安全宣言が発せられ、中国船などが塩を積み、相次いで入港する。
4月1日本間家が酒田信用金庫を設立する。(市史史料篇五)
4月酒田高等学校を酒田東高等学校と酒田西高等学校に分離する。
4月酒田市立第二中学校が新築移転する。
4月北千日堂前字松境に酒田無線中継所ができる。
4月巡視船「とね」が酒田海上保安部に配属される。
4月東平田村北沢字野手南の大日板碑(正和3年)一基が県の文化財に指定される。
5月文学者森敦が来庄し、5月から6月までは下内匠町佐藤医院(現タクミ歯科医院)の二階にすむ。この頃森敦は湯殿山注連寺・吹浦・酒田を転々としていた。のちに『月山』により芥川賞を受ける。その後しばしば酒田にくる。
6月7日酒田花卉盆栽会ができる。会長中町の三井レコード店主。53年10月16日社団法人日本盆栽協会酒田支部となる。支部長加藤繁治。会員約110名。
6月15日港座で今はなき杵屋勝丸・清元延正寿・藤間勘四郎・望月左吉・大谷孫一・井山計五郎等、酒田芸能界物故者追善芸能公演会が開催され、勝東治とその子の若山富三郎・勝新太郎兄弟が専門外の常盤津の戻橋を踊る。
6月21日川端康成の歓迎座談会を開く。(本間美術館の37年)
7月酒田川柳会ができ、毎月一度大信寺で例会を開く。主要メンバー荒木彦治・佐藤三郎・根上善一郎・五十嵐太兵衛。この前年より本町五丁目の根上善一郎宅で古川柳「柳多留」の研究会を開いていたのが、こんどは実作しようということでできたもの。
7月酒田港が入国管理令による指定港となる。
8月26日酒田飛島間定期航路に「おばこ丸」が就航する。船体は瀬戸内海の遊覧船を買いとったもの。
8月市役所で監査委員制度を設ける。
8月高松宮御夫妻来酒のもとに、全日本高校バスケットボール選手権大会が開かれる。菊水ホテルに泊られ、鳥海登山や釣を楽しまれる。妃殿下は御滞在中次の歌をよまれる。
 ひなゝれど人もちまたも落ゐつゝ 静けさうれし酒田のみなと
9月酒田営林署で最上川河口から日向川河口までの国営海岸砂丘地砂防林造成事業を始める。工費1億5千万円。
10月19日~23日までの5日間、第七回国民体育大会山岳競技を鳥海山で行う。
10月酒田地区職業指導協議会が発足する。
10月25日酒田保健所が浜田小学校前に新築移転し、竣工式が行われる。
本楯村に国民健康保険組合直営の診療所がつくられる。
飽海地区労働組合会議が結成される。会長、工藤菊治。
海外への農業移住が再開され、酒田からブラジルへ16名が移住する。
10月酒田ガス株式会社が廃止され、新たに酒田天然ガス株式会社がつくられ、市内にガス使用が普及する。
秋、池田昭二の提唱でサークル詩誌「谺」が創刊される。同人に大滝安吉・加藤四郎・菅谷規矩雄・成田邦雄・荒井智子・佐藤登起夫・島敏・北見宏・伊藤董・吉野弘等がいる。文学的レベルの高い現代誌を発表、同人の中から吉野弘という現代詩人をうみだしたが、35年8月、57号をもって終刊した。
11月酒田市教育委員会が発足する。委員長、医師石原孝吉。
12月宮海で建網漁中、5名死亡する。(西荒瀬の鮭)
この年酒田から初めて北洋漁業に出漁する。出漁のとき、大漁旗をかかげ、ボリュウムを高くした音楽が鳴りひびく中、家族や大勢の市民から見送られて出航する港風景はその後、酒田の春の風物詩となった。
有望漁場「鳥海」が発見される。(飛島誌)
伝染病患者が200名発生する。
広野橋の復旧(広野地内)工事が完成する。
この年作家武田泰淳が来遊する。「酒田の本間家」(中央公論“文芸”特集号)を発表する。(酒田市制50年)
書家鳥海道三が没する。72歳。鵠洞。牧曽根村に生まれ、書道家豊道春海について書を学ぶ。戦争中は新井田町に疎開、かたわら酒田中学校で書道講師をつとめた。
画家菅原梅里が没する。78歳。明治7年、新堀の木川村の旧家菅市郎右衛門の家に生まれ、鉄道員となる。のち山形の画家下條桂谷に師事する。山椒小路に住居し、山水画を得意とした。