酒田市立図書館/光丘文庫デジタルアーカイブ

酒田市史年表

明治期

明治(1868~1912)

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明治21年18881月飛島の湯殿山参詣船が難波し、7人が死亡する。事故
4月25日市制及び町村制を公布する。(酒田港誌)
4月本間家が株式会社本立銀行を創立する。資本金7万2千円。
5月14日酒井新田小学校校舎が完成する。
5月水上警察巡査派出所を船場町におく。
7月7日教育者二木栄松が没する。36歳。大町尾形又兵衛の次男に生まれ、のち本町三丁目二木与助の養子となる。明治6年酒田で初めての女子小学校として操松学校が創設されたとき自宅を校舎に開校。大信寺に葬られる。
7月9日上曽根村の薬師神社で正訓導本堂梅子が神楽を舞う。(咄しの種瓢)
7月鶴岡に私立荘内中学校が設立される。
9月16日酒田七ノ丁北側に医会所十全堂を新築、開業式を行う。(咄しの種瓢)
9月新堀村で大火、63戸を焼失する。(山形県警察史)火事
10月28日文部大臣森有礼が来酒し、学校教育を視察する。
11月18日琢成尋常高等小学校を寺町泉流寺畑地(現総合文化センター)に新築(5月竣功)移転し、この日開校する。
11月本間光訓が飽海農談会を解散し、反自由党的性格をもつ有恒会を組織し、その規則を定める。その後酒田の政界はおおむね有恒会が優勢であった。有恒会は大隈・犬養の進歩党・憲政党・国民党系に属する。
11月酒田町に消防組が組織される。
広野村の戸数は273戸・人口は2,151人である。
この頃、郡からの達しを寒天版・こんにゃく版で印刷し、事務の簡捷化を図った。(余目町史年表)
歯磨粉使用普及はこの頃にはじまる。(二銭五厘)