弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編2(近世編1)

新編弘前市史 資料編2(近世編1)

第2章 藩政の確立

 本章は、「藩政の確立」と題して、第一章の「藩政への道」に引き続いて、明暦二年(一六五六)から宝暦三年(一七五三)に至る、弘前市を中心とした津軽領の約百年間にわたる期間を対象とし、各関係史料を項目に分けて構成した。
 具体的には、藩政確立期として第四代藩主津軽信政の藩主就任の明暦二年から、おおむね第七代藩主津軽信寧(のぶやす)代の宝暦改革の開始される宝暦三年までの期間とした。地域は本市並びに藩政時代の津軽領全域を主たる対象とし、藩政確立期の動向を中心に、江戸、大坂、京都、日本海沿岸地域の各地及び近隣の南部領、秋田領などの地域をも対象に組み入れて、史料を編纂配列した。
 本章における史料配列は、節・項立てによる項目別の配列とし、必ずしも年代順(編年)配列とはしなかった。ただし、同一項目の中では編年配列とした。また最下限史料は本来ならば本章の下限たる宝暦三年までであるが、内容的に重要と思われる史料については、例外としてこれを掲げた。
 次に、本章の項目立てと掲載史料について、各節ごとに簡単に触れよう。掲載史料については、弘前市立図書館所蔵の津軽家文書、八木橋文庫、旧八木橋氏所蔵史料、岩見文庫などの所収文書、津軽一統志や封内事実秘苑などの編纂史料類、寛文元年(一六六一)に記録を開始する弘前藩庁日記(国日記)、同(江戸日記)などの日記類、国立国文学研究資料館史料館所蔵の津軽家文書、さらには東京大学史料編纂所所蔵の文書・記録類、京都府陽明文庫(ようめいぶんこ)所蔵の家譜類などを中心としている。
 これらの文書、記録、日記類をもって項目を立て、第一節は、「領内支配と支配機構の整備」と題して、津軽領における支配の根幹となる法令をまず掲げ、役職、軍役(ぐんやく)、家臣団の形成、家臣の払い米、地方知行、津軽黒石領の地方支配のあり方など、支配機構の整備の過程、及び家臣団の構成に関する主な史料を掲げた。
 第二節では、「寛文蝦夷蜂起と出兵」と題して、確立期の津軽弘前藩にも大きな影響を与えた、寛文蝦夷蜂起事件と同藩の対応を取り上げた。寛文九年(一六六九)に蝦夷地で勃発した、シャクシャインに率いられたアイヌ民族の蜂起は、幕藩体制に深刻な衝撃を与える事件であった。幕府から出兵を下命された同藩の関係史料を掲げ、山田文書、津軽一統志、弘前藩庁日記等を主に掲載した。具体的には、同藩の出兵状況や幕府との関係が窺える史料、並びに領内のアイヌ民族である狄人の動向を記す記録も収録した。
 第三節では、「検地の実施と新田開発」として、津軽領における検地と新田開発に関する史料を掲げた。そもそも津軽領の検地は、天正十八年(一五九〇)の奥羽日の本仕置(ひのもとしおき)において太閤検地が実施され(第一章「藩政への道」の該当条を参照のこと)、この検地は指出(さしだし)検地といわれる。その後も領内では寛永検地が行われたが(「津軽歴代記類」)、その詳細については、いっさい伝わっていない。現在、検地帳が全領内的に残存するのは、貞享(じょうきょう)四年(一六八七)に作成された貞享検地帳であるが、この検地帳は寛文十一年から天和元年(一六八一)にかけて実施された「天和の検地」と、翌二年一月から実施された検地未了地域への竿入れの結果を基本としている。しかし天和二年三月、津軽家は、越後騒動で改易された松平光長(まつだいらみつなが)の領地であった越後高田(たかだ)領の検地を、幕府から命じられ、津軽領の検地は一時中止のやむなきに至った。同年七月に高田領の検地終了後、領内検地を再開し、大道寺隼人(だいどうじはやと)と間宮求馬(まみやもとめ)を惣奉行として、以後四年の歳月をかけて全領内の総検地を再度実施した。これらの検地の結果が、先述した貞享検地帳である。本巻の第五章第二節「村方の様子」に、貞享検地帳に見える弘前市内の農村を掲げたので参照されたい。なお、この時に決定された村位や年貢の徴収法が、同藩では以後継続している。いずれにしろ、天和・貞享の検地は、藩初以来の新田開発の成果を掌握する目的で実施されたのであって、本節では津軽領で行われためざましい新田開発の展開を記録する史料も掲げた。
 右に見られた華々しい領内開発の一方で、十七世紀後半から十八世紀に入ると、北奥羽地方は度重なる凶作や飢饉にみまわれるようになり、それによる農村の疲弊や藩財政の窮乏が顕著になってくる。このような歴史的状況が、次章で取り上げる宝暦改革の前提となってくるのである。第四節と第五節では、深刻な凶作・飢饉の例として、元禄飢饉を取り上げ、そこから波及する藩士知行の借り上げ、さらには家臣召し放ち(家臣団の整理)、倹約令などの史料を掲げた。
 第六節では、「領知朱印と家譜家系」と題して、幕府から津軽家へ下付した領知朱印状と領知判物(はんもつ)(文化五年に十万石へ高直りしてからは、朱印状ではなく判物が下付された)を、また陽明文庫所蔵の津軽家の家譜家系、四代藩主信政と関白近衛基煕との交際を知る上で貴重な基煕公記を、さらに信政の藩主としての思想内容を窺う史料として貞享規範録を収載した。現在、幕府から下付された領知朱印状や判物で原文書が残っているのは津軽家だけであり、全国的に見てもきわめて珍しいものである。口絵にも写真版を掲げたので是非参照していただきたい。