弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編2(近世編1)

新編弘前市史 資料編2(近世編1)

[口絵]


津軽為信画像
(国立史料館蔵)


津軽為信霊屋(弘前市・革秀寺)
為信の霊屋は初め死亡した翌年の慶長13年に立てられたとの記録があるが,現在の霊屋はその後に建立されたものと思われる。内部には宝篋印塔が安置され,壁には板卒塔婆が張り巡らされている。
(本文史料232・233号)


霊屋内部


天正十九年六月二十日
豊臣秀吉朱印状 津軽右京亮宛
(本文史料三三号)


天正十九年ヵ十月晦日
豊臣秀吉朱印状 津軽右京亮宛
(本文史料四一号)


年未詳十月二十八日
徳川家康御内書 津軽右京亮宛
(本文史料二四四号)


慶長5年正月27日
津軽為信任右京大夫口宣案
(本文史料76号)


慶長9年11月22日
津軽為信黒印歩米渡状 念西宛
(弘前市指定文化財,本文史料199号)


慶長期九月二十九日
津軽為信書状 大和泉讃岐守宛
(本文史料二四〇号)


年未詳九月十五日
津軽為信夫人仙桃院消息
(本文史料四六二号)


年不詳6月26日
徳川家康書状 津軽信建宛
(本文史料231号)


慶長九年八月十七日
津軽信建奉納 巌鬼山神社鰐口
(弘前市・巌鬼山神社蔵、県重宝、本文史料一九四号)


慶長十八年
津軽信枚奉納 熊野奥照神社棟札
(本文史料三七二号)


元和元年6月21日 津軽信枚書状
白取瀬兵衛・服部康成宛(本文史料372号)


近衛家雑事日記(京都市・陽明文庫蔵)
延宝三年十二月二十一日の津軽家初見記事(右)
宝永五年の雑事日記表紙(左)


年未詳八月十一日
系図につき津軽信政書状
(本文史料一〇〇〇号)


年未詳正月九日
系図加筆につき津軽越中守書状
(本文史料一〇〇一号)


信政公葬送図絵巻・部分
(今井玉慶筆,岩木町・高照神社蔵)


弘前藩庁日記(弘前市立図書館蔵) 寛文元年から慶応四年に至る約二〇〇年間の藩の公式記録であり、原題は「日記」。日記には国元の記録である「国日記」、江戸屋敷の記録である「江戸日記」があり、国日記三二九七冊、江戸日記一二一八冊の計四五一五冊が現存している。


陸奥国津軽郡之絵図①(青森県立郷土館)
正保二年十二月二十八日、三代藩主津軽信義が江戸幕府へ提出したものの控。(本文史料六七九号)


陸奥国津軽郡之絵図② 弘前とその周辺拡大図


津軽弘前城之絵図(正保城絵図)
江戸幕府が正保元年12月25日、諸藩に命じて作成させたもので、当津軽家では江戸屋敷において狩野内膳重良に描かせ慶安元年に幕府へ提出している。大火に遭う前の元寺町の寺院街が描かれている。
(本文史料716号)


寛文四年四月五日
徳川家綱朱印状(右)


領知目録(下) 津軽越中守宛
(本文史料八七二・八七三号)


天保十年三月五日
徳川家慶判物 弘前侍従宛(左)


領知目録 津軽越中守宛(下)
(本文史料八八六・八八七号)


元禄元年 御国中道程之図(国立史料館蔵)
全23巻,掲載した図は1巻目の「大手町御門より碇ヶ関峠御境迄」


慶長14年7月18日
津軽信長〔信枚〕黒印寺領充行状 革秀寺宛
(本文史料266号)


慶長十四年八月六日
津軽信枚黒印知行充行状町田勝右衛門宛
(本文史料二六九号)


寛永十一年正月十一日
津軽信吉〔信義〕黒印知行充行状神左馬丞宛
(本文史料五五五号)


寛文元年11月10日
津軽信政知行目録竹内長右衛門宛
(本文史料811号)