弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編1(古代・中世編)

新編弘前市史 資料編1(古代・中世編)

第1章 蝦夷・津軽関係編年史料

建暦二年(一二一二)十二月廿四造立の滋賀県玉桂寺阿弥陀如来立像胎内文書中に蝦夷の交名。
建保四年(一二一六)六月十四日、京都の海賊強盗を夷島流刑。
建保七年(一二一九)四月二十七日、曾我広忠に平賀郡岩楯村地頭代職。
このころ、安藤五郎、北条義時代官として津軽に入るという。
承久四年(一二二二)三月十五日、曾我惟重、平賀郡平賀郷を父広忠同様別納請所として認められる。
貞応二年(一二二三)八月六日、平賀郡平賀本郷への検非違所政所入部を停止。
貞応二年(一二二三)十二月六日、僧栄秀、平賀郡福王寺・極楽寺へ敷地を寄進し、両寺別当職をその子信濃公長秀に譲る。
貞応三年(一二二四)九月二十一日、曾我惟重に平賀郡岩楯村地頭代職。
文暦二年(一二三五)七月二十三日、京都の殺害人等を夷島流刑。
嘉禎二年(一二三六)八月九日、僧長秀、平賀郡乳井郷毘沙門堂別当職補任。
嘉禎三年(一二三七)三月十三日、惟重夫人伊豆田所女房に平賀郡岩楯村地頭代職(一期分)。
暦仁二年(一二三九)正月十一日、幕府、陸奥国郡郷所当の銭納を禁止。また白河関以東の銭貨の流布を禁止。
延応元年(一二三九)三月二十八日、曾我惟重、平賀郡大平賀村を、曾我光弘、平賀郡岩楯村を請所として認められる。
延応元年(一二三九)十二月二十二日、平賀郡乳井郷福王寺別当職等の相続配分の協議。
延応二年(一二四〇)三月十日、平賀郡乳井郷阿弥陀堂別当職を毘沙鶴等に安堵。
仁治二年(一二四一)三月十八日、曾我広忠夫人岩楯尼、亡夫墓堂仏聖田につき申請。
仁治三年(一二四二)十月一日、曾我惟重、平賀郡大平賀村地頭代職。
仁治三年(一二四二)十月一日、平賀郡乳井郷阿弥陀堂別当職を安堵。
仁治三年(一二四二)十月二十五日、曾我光弘、平賀郡大平賀郷新屋淵村・長峯村地頭代職。
宝治元年(一二四七)五月二十九日、津軽海辺に大魚流れ来る。
宝治二年(一二四八)九月十日、津軽海辺に大魚流れ来る。
このころ、曾我光弘、鱒・鷹等を贈る。
建長三年(一二五一)九月二十日、讃岐国海賊を夷島流刑。
建長六年(一二五四)、このころ蝦夷反乱の噂。
文応元年(一二六〇)三月中旬、蝦夷の反乱起こるという。
文永元年(一二六四)五月十日、後家尼(曾我光弘夫人)に、平賀郡岩楯村を安堵。
文永五年(一二六八)十月十九日、大江光清、鼻和郡大浦郷の内を譲る。
このころ、蝦夷の反乱。
建治三年(一二七七)十月二十一日、渋谷氏置文に、夷島流刑。
建治三年(一二七七)十二月二十五日、殺害人を津軽に流刑。
弘安四年(一二八一)安藤氏、牡鹿の先達職を預るという。
弘安五年(一二八二)九月二十一日、小山宗長、千代犬に田舎郡(山辺郡か)榑沢郷を安堵。
弘安七年(一二八四)十月三十日、僧幸秀、平賀郡乳井郷福王寺別当職を譲る。弘安十年(一二八七)十二月十二日、補任。
このころ?曾我氏の過書。
正応五年(一二九二)三月二十六日、片穂惟秀、平賀郡なかのまちい郷を、子ありわう御前(曾我光頼夫人)に譲る。
永仁五年(一二九七)十月十四日、曾我泰光、子光頼に重代の鎧等を譲る。