弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編1(古代・中世編)

新編弘前市史 資料編1(古代・中世編)

第1章 蝦夷・津軽関係編年史料

康和四年(一一〇二)二月三日、陸奥守藤原実宗、貢馬。
康和五年(一一〇三)十一月一日、藤原基頼、陸奥守。
長治元年(一一〇四)五月二日、藤原基頼、鎮守府将軍兼任。
長治元年(一一〇四)七月、藤原清衡、藤原忠実に馬を贈る。
嘉承元年(一一〇六)十二月、陸奥交易御馬御覧。
嘉承二年(一一〇七)六月二十九日、白河法皇、藤原忠通に陸奥守藤原基頼貢馬を給う。
天仁元年(一一〇八)十月二十一日、鳥羽天皇即位の大嘗会御禊に熊形蛮絵・粛慎羽。
天仁元年(一一〇八)十二月三十日、藤原基頼、陸奥守重任。
天仁二年(一一〇九)九月、競馬に藤原忠実の陸奥・出羽馬。
天仁三年(一一一〇)正月二日、藤原清衡、馬を藤原忠実に贈る。
天永二年(一一一一)、出羽国乱逆により、守源光国、任国を放棄。このころ、鎮守府将軍藤原基頼、北国の凶賊を討つという。
天永二年(一一一一)十月二十八日、藤原清衡、馬を藤原忠実に贈る。
天永二年(一一一一)十一月二十八日、藤原忠実、陸奥に馬を求めさせる。
天永三年(一一一二)十月十六日、藤原清衡、馬を藤原忠実に贈る。
永久元年(一一一三)九月十七日、陸奥守橘以綱、藤原忠実に貢馬。
永久二年(一一一四)六月、藤原忠実、陸奥より馬を求める。
永久二年(一一一四)九月七日、陸奥守橘以綱、藤原忠実に馬を贈る。
永久三年(一一一五)十二月、陸奥交易御馬御覧。
元永元年(一一一八)八月、藤原忠実、藤原清衡所進の馬を藤原忠通に贈る。
保安元年(一一二〇)六月十七日、藤原清衡の金馬檀紙等の盗人の勘文記。
保安元年(一一二〇)十二月十九日、陸奥交易御馬御覧。
天治三年(一一二六)中尊寺供養願文。藤原清衡、俘囚之上頭を自称。
このころ、白河関より外浜まで、一町毎に笠卒都婆を建て、金色の阿弥陀像を建てたという。
長承元年(一一三二)十二月二十三日、藤原顕輔、エゾについての歌を詠む(確実なエゾの初見)。
久安六年(一一五〇)、エゾについての和歌。
仁平三年(一一五三)九月十四日、奥州摂関家荘園の年貢に北方の珍物。
仁平四年(一一五四)九月二十九日、鳥羽城南寺の競馬に陸奥国馬。
保元二年(一一五七)十月八日、後白河天皇新造内裏遷幸の際、右大臣藤原基実、出羽仁毛駮馬に乗る。
このころ、藤原基衡、毛越寺建立。仏師の功物に北方の珍物。
このころ、高伯寺創建という。
仁安二年(一一六七)十月二十六日、競馬に藤原秀衡の馬。
嘉応二年(一一七〇)五月二十五日、藤原秀衡、鎮守府将軍。
治承四年(一一八〇)十二月四日、奥州戎狄藤原秀衡に源頼朝を討たせるとの風聞。
養和元年(一一八一)九月七日、東国より伊勢太神宮へ告文。
文治二年(一一八六)四月二十四日、藤原秀衡、貢馬貢金の請文。
文治二年(一一八六)五月十日、藤原秀衡、源頼朝に貢馬。
文治二年(一一八六)十月三日、源頼朝、陸奥よりの貢馬貢金を京進。
文治四年(一一八八)六月十日、藤原泰衡京進の貢馬・貢金等、大磯着。
文治五年(一一八九)八月十日、阿津賀志山の合戦に際し、藤原国衡、奥州第一の駿馬に乗る。また三沢安藤四郎の兵略により、源頼朝の勝利。
文治五年(一一八九)八月二十二日、源頼朝、藤原泰衡平泉館の倉庫の宝物を検分させる。
文治五年(一一八九)九月三日、藤原泰衡、夷狄島をめざし糠部へと北上するも、比内郡贄柵で敗死。
文治五年(一一八九)九月二十七・八日、源頼朝、鎌倉への帰還の途上、安倍氏の衣川館跡や悪路王伝説の田谷窟へ立ち寄る。
文治五年(一一八九)十二月九日、源頼朝、奥州の良馬を選び、厩を建てる。
文治六年(一一九〇)正月三日、鷲羽一櫃を貢上。
文治六年(一一九〇)正月六日、大河兼任、津軽で宇佐美平次を破る。
文治六年(一一九〇)二月十二日、大河兼任、外浜と糠部との間の多宇末井之梯で敗れる。
文治六年(一一九〇)、大河兼任、出羽国栗原寺にて敗死。
建久二年(一一九一)十一月二十二日、京都罪人を夷島流刑。
建久四年(一一九三)七月二十四日、外浜に異馬を放そうとするも、異馬は途上にて射殺される。
建久五年(一一九四)六月二十五日、京都の獄囚を奥州(外浜か)流刑。奥州夷(安藤氏)に渡す。
正治二年(一二〇〇)六月二十四日、大津神人の訴えにより、検非違使庁下部を夷島に流刑。