弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編1(古代・中世編)

新編弘前市史 資料編1(古代・中世編)

第1章 蝦夷・津軽関係編年史料

和銅二年(七〇九)三月六日、陸奥・越後二国の蝦夷に、征討軍派遣。
和銅二年(七〇九)七月、出羽蝦狄征討の準備。
和銅二年(七〇九)八月二十五日、征蝦夷将軍佐伯石湯等、凱旋。
和銅二年(七〇九)九月十二日、征狄将軍に賜禄。
和銅三年(七一〇)正月一日、朝賀に蝦夷等参列。将軍、蝦夷等を率いて行進。
和銅三年(七一〇)正月十六日、蝦夷等に宴の後、授位・賜禄。
和銅五年(七一二)九月二十三日、出羽建国。
和銅八年(七一五)正月一日、朝賀に蝦夷等、特産物を貢上。
霊亀元年(七一五)十月二十九日、陸奥国蝦夷ら、編戸の民となることを求む。
養老二年(七一八)八月十四日、出羽・渡嶋蝦夷、馬の貢上により授位禄。
養老二年(七一八)、養老律令成る。陸奥・出羽国についての規定(抄)。
養老四年(七二〇)正月二十三日、渡嶋津軽津司を靺鞨国に派遣。
養老四年(七二〇)九月、蝦夷反乱。征夷将軍・鎮狄将軍らを任じて節刀を授ける。
養老四年(七二〇)十一月二十六日、陸奥・石背・石城国等の租税を免除。
養老五年(七二一)四月九日、征夷将軍・鎮狄将軍等、帰還。
養老五年(七二一)六月十日、隼人・蝦夷の戦乱地の民及び軍功の人に免税措置。
養老六年(七二二)四月十六日、前年~前々年次の蝦夷・隼人征討についての行賞。
養老六年(七二二)閏四月二十五日、陸奥按察使管内の租税を減免。
養老七年(七二三)二月十三日、常陸国那賀郡大領、私穀を陸奥鎮所に献上。
養老八年(七二四)二月二十二日、大伴南淵麻呂ら私穀を陸奥鎮所に献上し授位。
神亀元年(七二四)三月二十五日、東北地方(太平洋側)の蝦夷反し、陸奥大掾を殺す。四月三日、大掾に贈位。
神亀元年(七二四)四月、征夷準備。持節大将軍等任官。
神亀元年(七二四)五月二十四日、鎮狄将軍、小野牛養。
神亀元年(七二四)十一月十五日、征夷持節大使を慰労。
神亀元年(七二四)十一月二十九日、征夷持節大使・鎮狄将軍等、帰還。
神亀二年(七二五)閏正月四日、陸奥国俘囚を西国に強制移住。
神亀二年(七二五)閏正月二十二日、征夷将軍以下に叙勲。
神亀四年(七二七)九月二十一日、渤海使、出羽国に来着。一行のうち十六人、蝦夷により殺害。
天平元年(七二九)九月十四日、鎮守将軍、鎮兵の勇敢なるものに授位を願う。
天平二年(七三〇)正月二十六日、陸奥国田夷村に郡家を建てる。
天平三年(七三一)正月二十七日、大野東人に従四位上。陸奥出羽按察使兼大養徳守。
天平五年(七三三)越前国郡稲帳に、出羽国進上馬の飼秣料。
天平五年(七三三)十二月二十六日、出羽柵を秋田に移す。雄勝建郡。
天平六年(七三四)尾張国正税帳に陸奥国進上馬の飼糠米。
天平九年(七三七)正月二十一日、陸奥出羽直路開設をもくろむ陸奥按察使の奏言により、持節大使ら派遣。
天平九年(七三七)四月十四日、陸奥持節大使、大野東人の新道開通・蝦夷鎮撫を報告。
天平十一年(七三九)七月十三日、遣唐使平群広成、渤海使と共に出羽に来着。十一月三日、入京して復命。
天平十八年(七四六)、渤海人ら来朝。出羽国に安置。
天平宝字二年(七五八)六月十一日、帰順した蝦夷に種子を与え、王民とする。
天平宝字二年(七五八)十月二十五日、陸奥国浮浪人、桃生築城。また柵戸とする。
天平宝字二年(七五八)十二月八日、桃生城・雄勝柵造営。
天平宝字三年(七五九)九月二十六日、桃生・雄勝城造営関係者の正税出挙を免除。また出羽国雄勝・平鹿建郡。
天平宝字三年(七五九)九月二十七日、坂東諸国らの浮浪人を雄勝柵戸に配す。また軍士の武器を雄勝・桃生城に蓄える。
天平宝字三年(七五九)十一月九日、坂東諸国、陸奥国救援の準備。
天平宝字四年(七六〇)正月四日、雄勝・桃生城完成により、鎮守将軍以下関係者に褒賞。
天平宝字六年(七六二)十二月一日、多賀城碑建立。
天平神護二年(七六六)四月七日、陸奥城柵の修理。
神護景雲元年(七六七)十月十五日、陸奥国伊治城完成により褒賞。
神護景雲元年(七六七)十一月八日、出羽国雄勝城下の俘囚、内属する。
神護景雲二年(七六八)十二月十六日、伊治・桃生に移住するものに、復を与える。
神護景雲三年(七六九)正月二日、朝賀に蝦夷列席。
神護景雲三年(七六九)正月七日、道鏡、蝦夷に賜物。
神護景雲三年(七六九)正月十七日、陸奥国蝦夷に、蝦夷爵を給う。
神護景雲三年(七六九)正月三十日、陸奥国、鎮兵の残留を願う。また桃生柵戸希望者を募り、復を与える。
神護景雲三年(七六九)二月十七日、復を与えて桃生・伊治城への移住者を募る。
神護景雲三年(七六九)六月十一日、浮浪人を陸奥国伊治村に移配。
神護景雲四年(七七〇)八月十日、蝦夷宇漢迷公宇屈波宇ら、賊地に逃げる。
宝亀二年(七七一)閏三月一日、紀古佐美、征夷副使。佐伯美濃、鎮守将軍。
宝亀二年(七七一)六月二十七日、渤海使、出羽国野代湊に来着。
宝亀三年(七七二)正月一日、朝賀に陸奥・出羽国の蝦夷参列。
宝亀三年(七七二)正月十六日、陸奥・出羽国蝦夷帰郷に際し、賜爵・賜物。
宝亀四年(七七三)正月一日、朝賀に陸奥・出羽国の夷俘参列。
宝亀四年(七七三)正月十四日、陸奥・出羽国夷俘帰郷に際し、叙位・賜禄。
宝亀四年(七七三)正月十五日、軍粮を助ける出羽国人に叙位。
宝亀五年(七七四)正月十六日、出羽国夷俘を朝堂に饗し、叙位賜禄。
宝亀五年(七七四)正月二十日、朝賀への夷俘の入朝を停止。
宝亀五年(七七四)七月二十三日、出羽国蝦狄征討督促の勅。
宝亀五年(七七四)七月二十五日、陸奥国蝦夷、桃生城に侵攻。
宝亀五年(七七四)八月二日、坂東八国、陸奥国救援を準備。
宝亀五年(七七四)八月二十四日、鎮守将軍、蝦夷征討中止を進言。光仁天皇、それを譴責。
宝亀五年(七七四)十月四日、降伏せる陸奥国遠山村の夷俘に賜物。
宝亀六年(七七五)三月二十三日、陸奥国蝦夷騒動により、当年の課役田租を免除。
宝亀六年(七七五)十月十三日、出羽国鎮兵増援を要請。国府遷移を計る。
宝亀六年(七七五)十一月十五日、鎮守将軍等に褒賞。
宝亀七年(七七六)二月六日、陸奥・出羽国の蝦夷征討。
宝亀七年(七七六)五月二日、出羽国志波村で戦闘。
宝亀七年(七七六)五月十二日、佐伯久良麻呂、鎮守権副将軍。
宝亀七年(七七六)七月十四日、陸奥国に船五〇隻設置。
宝亀七年(七七六)七月二十一日、上毛野馬長、出羽守。
宝亀七年(七七六)九月十三日、陸奥国俘囚、大宰管内諸国に移配。
宝亀七年(七七六)十月十一日、陸奥国、当年田租を免除。
宝亀七年(七七六)十一月二十六日、胆沢の蝦夷を征討。
宝亀七年(七七六)十一月二十九日、出羽国俘囚を大宰管内などに移配。また一部は賤民となす。
宝亀七年(七七六)十二月十四日、陸奥国奥地を守る百姓を募る。
宝亀八年(七七七)三月、陸奥国夷俘、相次ぎ投降。
宝亀八年(七七七)五月二十五日、甲を出羽国に送る。
宝亀八年(七七七)九月十五日、陸奥国、当年の租庸調免除を申請。
宝亀八年(七七七)十二月、出羽国軍、志波村の蝦夷に敗戦。鎮守権副将軍任命。
宝亀九年(七七八)六月二十五日、蝦夷征討功労者に褒賞。
宝亀九年(七七八)十二月二十六日、陸奥・出羽国蝦夷を唐客来朝時の儀杖兵として徴発。
宝亀十年(七七九)九月十四日、渤海・鉄利人、出羽国に来着。
宝亀十年(七七九)九月二十七日、出羽国来着の渤海・鉄利人の留滞を許可。
宝亀十一年(七八〇)二月二日、陸奥国、胆沢攻略を計る。
宝亀十一年(七八〇)二月十一日、陸奥国、長岡攻略。
宝亀十一年(七八〇)三月二十二日、伊治呰麻呂反する。
宝亀十一年(七八〇)三月二十八日、征東大使等任命。
宝亀十一年(七八〇)三月二十九日、陸奥鎮守副将軍等任命。
宝亀十一年(七八〇)五月八日、甲を鎮狄将軍に送る。
宝亀十一年(七八〇)五月十一日、渡嶋蝦狄饗応の勅。
宝亀十一年(七八〇)五月十四日、坂東諸国、糒を準備。
宝亀十一年(七八〇)五月十六日、伊治呰麻呂征討を促す。
宝亀十一年(七八〇)六月八日、鎮守副将軍らを任命。
宝亀十一年(七八〇)六月二十八日、伊治呰麻呂征討につき、状況報告を命ずる。
宝亀十一年(七八〇)七月二十一日、征東使、甲を要求。
宝亀十一年(七八〇)七月二十二日、征東使、襖を要求。また坂東軍士を徴発し多賀城に派遣。
宝亀十一年(七八〇)八月十四日、軍粮を運ぶ越前国人に授位。
宝亀十一年(七八〇)八月二十三日、秋田城・由利柵の防御を命ずる。
宝亀十一年(七八〇)九月二十三日、藤原小黒麻呂、征東大使。
宝亀十一年(七八〇)十月二十九日、光仁天皇、征討を督促。
宝亀十一年(七八〇)十二月十日、征東使奏上。
天応元年(七八一)正月一日、呰麻呂から離反の百姓に復三年、兵士を出す戸の今年の田租を免除。
天応元年(七八一)正月十五日、蝦夷征討の兵粮貢上者に授位。
天応元年(七八一)二月三十日、穀を陸奥軍所に送る。
天応元年(七八一)六月一日、光仁天皇征討軍解散を糾弾。
天応元年(七八一)八月二十五日、陸奥按察使藤原小黒麻呂入京。征討の功により授位。
天応元年(七八一)九月二十二日、蝦夷征討功労者に授位。
天応元年(七八一)九月二十六日、征東副使大伴益立、征討延引の責により位階剥奪。
天応元年(七八一)十月十六日、私に軍粮を運ぶ者に授位。従軍蝦夷に授爵。
天応二年(七八二)五月三日、軍粮貢献者に授位。
天応二年(七八二)五月十二日、陸奥国奥郡に復三年。
天応二年(七八二)五月二十日、陸奥国、鹿島神への褒賞を進言。
延暦二年(七八三)四月十九日、坂東諸国の民に賑給。
延暦二年(七八三)六月一日、出羽国雄勝・平鹿郡に復三年。
延暦三年(七八四)三月四日、軍粮貢献者に叙位。
延暦四年(七八五)二月七日、陸奥国小田郡大領、征戦により授位。
延暦四年(七八五)四月七日、鎮守将軍大伴家持、多賀・階上の権郡の真郡化を要請。
延暦五年(七八六)八月八日、東海・東山道に遣使。軍士・武器を点検。
延暦五年(七八六)九月十八日、渤海使、出羽国管内に漂着。
延暦六年(七八七)正月二十一日、陸奥按察使、夷俘との交易を禁止。
延暦六年(七八七)十二月一日、軍粮貢献者に授位。
延暦七年(七八八)三月二日、兵粮を陸奥国に蓄積。
延暦七年(七八八)三月三日、東海・東山・坂東諸国の歩兵・騎兵を多賀城に集結。
延暦七年(七八八)三月二十一日、征東副使任官。
延暦七年(七八八)七月六日紀古佐美、征東大使。
延暦七年(七八八)十二月七日、征東大将軍紀古佐美に節刀を給わる。
延暦八年(七八九)三月九日、多賀城より奥地に進軍。
延暦八年(七八九)三月十日、伊勢神宮に奉幣。蝦夷征討を告げる。
延暦八年(七八九)五月十二日、征東将軍に征夷停滞の理由と賊軍の消息を報告させる。
延暦八年(七八九)五月二十六日、征東副将軍佐伯葛城戦死。贈位。
延暦八年(七八九)六月三日、征東将軍紀古佐美、阿弖流為との戦績を報告。桓武天皇、副将を非難。
延暦八年(七八九)六月九日、征東将軍紀古佐美、軍の解散を奏上。桓武天皇これを非難。
延暦八年(七八九)七月十七日、桓武天皇、戦況報告書を非難。
延暦八年(七八九)八月三十日、陸奥国で従軍者の田租を免除。また黒川以北十一郡の復を延長。
延暦八年(七八九)九月八日、持節征東大将軍紀古佐美、帰京し節刀を進める。
延暦八年(七八九)九月十九日、大将軍紀古佐美ら陸奥国での敗戦の責任を認める。
延暦九年(七九〇)閏三月、蝦夷征討の甲・軍粮を準備。
延暦九年(七九〇)十月十九日、蝦夷征討功労者に授勲。
延暦九年(七九〇)十一月二十七日、坂東諸国の今年の田租を免除。
延暦十年(七九一)正月十八日、征夷のため、東海・東山道にて軍士・武器を検査。
延暦十年(七九一)二月五日、陸奥国従軍者に贈位。
延暦十年(七九一)七月十三日、征夷大使・副使を任命。
延暦十年(七九一)九月五日、軍粮貢献人に授位。
延暦十年(七九一)十一月三日、坂東諸国、軍粮の糒を準備。
延暦十一年(七九二)正月十一日、陸奥国斯波村の夷に賜物。
延暦十一年(七九二)七月二十五日、帰化を請う夷を国堺に迎える。
延暦十一年(七九二)十一月三日、陸奥国夷俘を朝堂院に饗する。授爵。
延暦十一年(七九二)十一月二十八日、出羽国三郡の狄の田租を免除。
延暦十一年(七九二)閏十一月二十八日、征東大使大伴弟麻呂辞見。
延暦十二年(七九三)二月十七日、征東使を征夷使とする。
延暦十二年(七九三)二月二十一日、征夷副使坂上田村麻呂辞見。
延暦十三年(七九四)正月一日、征夷大将軍大伴弟麻呂に節刀。
延暦十三年(七九四)正月十六日、征夷の事を山陵に告げる。
延暦十三年(七九四)正月十七日、征夷のために伊勢太神宮に遣使。
延暦十三年(七九四)六月十三日、坂上田村麻呂ら夷を征する。
延暦十三年(七九四)九月二十八日、征夷のため諸国名神に奉幣。
延暦十三年(七九四)十月二十八日、征夷将軍大伴弟麻呂、戦果を報告。
延暦十四年(七九五)正月二十九日、征夷大将軍大伴弟麻呂、帰京し節刀を進める。
延暦十四年(七九五)二月七日、征夷大将軍以下に授爵。
延暦十四年(七九五)五月十日、俘囚を日向国に移配。
延暦十四年(七九五)十一月三日、渤海使、夷地志理波村に漂着。越後国に移し供給する。
延暦十四年(七九五)十二月二十六日、逃亡兵士を柵戸。
延暦十五年(七九六)正月二十五日、坂上田村麻呂、陸奥出羽按察使・陸奥守。
延暦十五年(七九六)十月二十七日、坂上田村麻呂、鎮守将軍兼任。
延暦十五年(七九六)十一月五日、戦功により授位。
延暦十五年(七九六)十一月二十一日、坂東諸国らの百姓を伊治城に移す。
延暦十六年(七九七)十一月五日、坂上田村麻呂、征夷大将軍。
延暦十八年(七九九)二月二十一日、陸奥国新田郡百姓を日向国に流す。
延暦十八年(七九九)三月八日、山夷田夷の功有るものに賜禄。
延暦十八年(七九九)十二月十六日、俘囚を土佐国に配す。
延暦十九年(八〇〇)五月二十一日、陸奥国、佃三十町をもって夷俘食料に充当。
延暦十九年(八〇〇)五月二十二日、夷俘の教化。
延暦十九年(八〇〇)十月二十八日、征夷副将軍任官。
延暦十九年(八〇〇)十一月六日、坂上田村麻呂、諸国の夷俘を検校。