弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編1(考古編)

新編弘前市史 資料編1(考古編)

第5章 弘前市内の主な遺跡

第3節 中世・近世の遺跡

(遺跡番号 02102)(図101~121)
(1)所在地 弘前市大字境関字富岳119番地ほか
(2)立地・環境
 遺跡は、平川の左岸標高23~25mの平坦な沖積地に位置し、河川の通常水位面から5~6mの比高となっている。中世の段階では、遺跡の南と北に旧河道によって形成されたと見られる一段低い沖積地が認められ、これらの自然地形を利用しながら河川交易を実施する中継基地的な性格を持っていたと考えられる(図101、写真参照)。発掘調査では、堀で区画された平場を北側からⅠ郭、Ⅱ郭、Ⅲ郭というように富岳神社までの範囲で任意の名称を付け、調査に当たった(図102)。

境関館遺跡航空写真(1979・11・12撮影)


図101 境関館遺跡の地形


図102 境関館遺跡の概要

(3)発見の経緯・歴史環境
 「青森県の中世城館」の中でも特に注目された遺跡ではなかったが、河川改修工事のため昭和59~60年の2か年で青森県教育委員会埋蔵文化財調査センターが9,300m2の調査を実施した結果、県内における14・15世紀の指標となる遺跡であることが判明した。文献等に境関館が存在したという明確な記録はないものの、中世においては曽我・工藤・安藤・葛西・南部・小山内などの豪族がこの周辺で活躍した事が知られている。
(4)検出遺構
 検出遺構としては、掘立柱建物跡23棟、かまど遺構129基、堀跡7本、竪穴遺構(建物跡)69軒、井戸跡45基、溝跡38本、土坑173基が検出されている。少なくとも、中世の時期においては13~16世紀の遺構があるものと推定され、15世紀前半が最も城館機能の発達した時期と考えられる。
〔掘立柱建物跡〕 23棟検出された建物跡は、平面配置及び出土遺物の分析から13世紀から15世紀までの約300年間にわたる変遷をたどることができるようになった。例えば、Ⅱ郭北側ではSB14、SB13、SB15の3棟、Ⅱ郭南側ではSB04、SB08、SB11、SB12、SB02、SB09、SB10、SB01、SB03、SB07の10棟、Ⅲ郭ではSB21、SB22、SB20、SB17、SB23、SB19、SB16、SB18の8棟が発見され、大きく4期ほどの配置が想定されている(図103)。これらの掘立柱建物跡の中で特にⅡ郭南側から発見されたSB01は15世紀半ばの建物として出色の建物である(図104)。東西13間、南北10間の大きさは、10間に5間の主屋部分に6間に4間の突き出し部が付き、さらに1間に2間の小部屋のある構造となっている。主屋と突き出し部では柱間寸法が違い、柱筋がそろわない部分も存在するため、突き出し部は後から増築されたものと考えられている。一見「曲屋風の建物」と見えるが南部曲屋とは基本的に異なり、貴族住宅の流れをくむ武家住宅の一つと見られる。間取りの形式としては、2間×4間を主室として東側に縁を回し、南と西に2間四方の室や1間×2間の小室を配置している。さらに北側には、中廊下を挟んで2間×3間の室と2間四方の室を並べ、北側と西側にも縁を設けている。これらの間取り形式は書院造の系譜上にあることから、15世紀代の建物として非常に貴重な存在となっている。図104には復元図(高島成侑画)も入れておいたので参照願いたい。

図103 境関館遺跡 掘立柱建物跡配置の変遷


図104 境関館遺跡 SB01掘立柱建物跡の構造と復元図

〔竪穴遺構(建物跡)〕 69軒検出された中で、建物構造のものは24棟である。これらの中には舌状スロープ(出入口)を有するものと無いものがあり、どちらも住居のような性格を持つ付属施設・出土遺物を発見できる例は少ない。Ⅱ郭から検出されたSI02は、焼失した建物跡で、床面上に炭化した板材・丸太材・角材・茅とともに炭化米が多量に出土した。しかし、日常生活用具は砥石一個のみの出土であり、覆土から朝鮮の粉青沙器(三島手)破片が伴出したにすぎない。機能的には、作業場や倉庫を推定でき、図105に示したSI03は舌状スロープを有する典型である。

図105 境関館遺跡 竪穴建物跡(図上)・井戸跡(図中)・出土品(図下)

〔かまど遺構〕 平坦な生活面を掘削し、焚口部、燃焼部、煙道部を半地下式に作り出したもので、燃焼部上に鍋などをおいて煮沸したと推定される。Ⅰ郭から5基、Ⅱ郭から108基、Ⅲ郭から16基検出され、Ⅱ郭が圧倒的に多い。
〔堀跡〕 7本の堀が新たに検出され、各平場を区画する水堀(1号堀・2号堀・3号堀・6号堀・7号堀)はもちろんのこと、Ⅱ郭の中には南北を分断する2本の空堀(4号堀・5号堀)が存在した。Ⅱ郭とⅢ郭を区画する2号堀と3号堀は、軸のずれがある7号堀よりも新しいもので、平行して存在することから二重堀の可能性もある。各郭の連絡施設は明確でなく、唯一Ⅰ郭とⅣ郭(Ⅱ郭の北側にある小区画)を結ぶ橋梁状の杭列が1号堀底面から発見されている。
〔井戸跡〕 45基の井戸跡のうち、井戸枠を検出したのは5基だけで、残りは素掘りあるいは井戸枠の有無については不明である。特徴的な井戸跡としては、以下の例がある。SE03(図105)からは曲物、木製紡錘車、くさび状鉄製品、粉挽臼、茶臼、黒漆塗り椀と銭貨362枚が麻状の紐に通されて出土した。SE46(図105)からは、木製柄付き鎌、曲物底板、角折敷、木製針、クルミ、桃の種が出土している。SE51からは板碑(図105)、鎌、曲物蓋が出土している。
〔溝跡〕 38本の溝跡は、幅が広いため堀の機能に近いもの、雨落溝と考えられるもの、井戸水の排水を想定できるもの、通路の区画線と見られるものなどがある。
〔土坑〕 機能不明の掘り込み痕が173基存在した。
(5)出土遺物
 城館期の出土遺物として陶磁器類887点、鉄製品316点、銅製品22点、銭貨682枚、石製品90点以上、木製品38点があり、奈良・平安時代と弥生時代の遺物も若干出土している。城館期の遺物一覧は表1の通りである。
表1 境関館遺跡出土遺物一覧
食膳具折敷・椀・曲物・箸・青磁(碗・皿・鉢)・白磁(碗・皿・鉢)・染付皿・朝鮮象嵌青磁・瀬戸(平碗・皿)
調理具珠洲片口鉢・瀬戸(卸皿・盤)・鉄鍋・石製粉挽き臼
貯蔵具珠洲(甕・壺)・曲物・越前甕
暖房具瓦質火鉢・温石
道具・工具製鉄(釘・鎹・鎌・手斧・鋸・鉈・鑽・鉋・苧引金・紡錘車)木製針・小刀・坩堝・羽口・砥石
化粧具銅製鏡・簪
茶の湯瀬戸(天目茶碗・茶入れ)・朝鮮刷毛目茶碗・石製茶臼
聞香瀬戸香炉・青磁香炉
生花瀬戸花瓶・青磁鉢
文房具瀬戸水滴・石製硯
武具小刀・小柄・小札・鉄鏃
宗教具六器・板碑・瀬戸瓶子・青白磁瓶子・珠洲四耳壺
その他渡来銭・馬骨・種子・炭化米
(分類については水野和雄「一乗谷朝倉氏遺跡の城下復元」1980を参考にし作成)

〔陶磁器類〕(カラー図6~9) 出土した陶磁器は総破片887片、個体数では443個があり、舶載陶磁器と国産陶磁器に大別される。舶載品としては、中国製青磁・白磁・青白磁・染付と朝鮮製粉青沙器があり、国産品では、瀬戸・珠洲・越前産の陶器が存在する。

カラー図6 境関館遺跡出土陶磁器(1) 1~6青磁(表裏)


カラー図7 境関館遺跡出土陶磁器(2) 1~23青磁


24~35白磁 36~38朝鮮・粉青沙器


カラー図8 境関館遺跡出土陶磁器(3) 1~19白磁


20~29珠洲


カラー図9 境関館遺跡出土陶磁器(4) 1瀬戸灰釉仏花瓶
2瀬戸鉄釉仏花瓶


3瀬戸灰釉香炉
4瀬戸天目碗


5~14瀬戸鉄釉
15~28瀬戸灰釉

①青磁は、碗・皿・鉢・盤・香炉・瓶の器種が存在し、220破片が出土しており、舶載陶磁器の中で最も多い。碗は、外面に蓮弁文を有する例(図106-1・2・4・5)と口縁外面に雷文帯を有する例(図106-6)、劃線だけの例(図106-7)、口縁が端反し無文の例(図106-9)、内面に陽刻文を有する例(図106-8・10)などがある。蓮弁文を有する碗は、蓮弁の幅が広いものから線描きのものまであるため、14世紀から16世紀の幅で考える必要がある。皿は、碗と同じく蓮弁文を有する例(図106-3)、内面をヒダ状にえぐる例(図106-11)、見込みに魚と思われる張り付け文様がある例(図106-13)、稜花皿と呼ばれる例(図106-17)がある。香炉には、袴腰の形状を呈するもの(図106-12)がある。盤あるいは大皿といわれるものでは、内面をヒダ状にえぐりながら口縁を外反する例(図106-14)と口縁を折り返す例(図106-15・16)がある。

図106 境関館遺跡出土陶磁器(1)

②白磁は、碗・皿・杯の器種が存在し、75破片、47個以上の個体数がある。碗は、口縁が外反し底部外面露胎(釉が施されない)の例が多く、一部見込も露胎する例(図107-2)、見込みに印花文を施す例(図107-3・6)もあり、渋い灰白色を呈する例(図107-1・4・5・7)が多い。皿は口縁が内湾しながら立ち上がり底部露胎の例が多いものの(図107-9・10)、高台を削り出して全体施釉の例(図107-8)もある。杯は、八角小杯と言われる破片が出土している。
③青白磁は、唐草文を外面に施す瓶子片(図107-11)が1点ある。
④染付は、皿だけの出土で9片、5~7個体が推定できる。口縁が外反し牡丹唐草文を描く例(図107-12・13)、見込みに玉取獅子文を施す例(図107-14)、ほか(図107-15)がある。
⑤朝鮮産の粉青沙器には、象眼三島手碗(図107-16)、刷毛目碗(図107-17)、重ね焼きの痕跡が残る灰釉皿(図107-18)の3点が出土している。

図107 境関館遺跡出土陶磁器(2)

⑥瀬戸は、151破片、84個体以上が出土、いろいろな器種が見られる。灰釉を施すものには、平碗・卸皿・小皿・瓶子・花瓶・壺・水滴・香炉・深鉢などがあり、鉄釉のものには天目茶碗、壺・仏花瓶などがある。年代的には、13世紀から一部16世紀に入る大窯期の資料も存在し、中心となるのは15世紀代の製品である。灰釉平碗(図108-1)、灰釉縁釉皿(図108-2)、灰釉卸皿(図108-3・4)、灰釉瓶子(図108-5・6・8)、灰釉水滴(図108-7)、灰釉仏花瓶(図108-9)、灰釉袴腰香炉(図108-10)と同筒形香炉(図108-11)、鉄釉天目茶碗(図108-12・13・14)、鉄釉仏花瓶(図108-15)、鉄釉壺形擂座(るいざ)茶入(図108-16)などが主な出土品である。

図108 境関館遺跡出土陶磁器(3)

⑦珠洲は、408破片、個体数は186個体以上と推定され、出土陶磁器の中で最も多く、片口鉢(大部分はすり鉢)・壺・甕の器種がある。片口鉢には、口縁帯に櫛目波状文を施す例(図109-4・6・7・8)とそれ以外(図109-1・2・3)が存在し、13世紀から15世紀前半の年代に収まるとされ、量的に多いのは14世紀後半から15世紀前半のものである。壺は小破片だけが出土し、甕は外面を叩き成形による例(図109-9・10)や降灰釉のかかる例(図109-11)がある。
⑧越前は、破片数10、個体数4の出土で、片口鉢と甕の器種がある。また、報告では珠洲系・擬珠洲という言い方をしている擂鉢(図109-12)は技法的には越前の特徴を有しており、今後産地同定が重要課題となっている。

図109 境関館遺跡出土陶磁器(4)

 ほかに、瓦質土器と呼ばれる火鉢の類が8点、瓦(軒丸瓦)1点、鋳銅関連の土製坩堝5点が出土している。
〔鉄製品〕 鉄製品は、遺構内外から316点の出土があり、遺構外が209点と大部分である。機能別に概略を述べる。
 武器の類としては、小刀(もっとも日常生活でも使用することもあるが)が27点あり(図110-1~7)、刃の長さは20cm以下のものだけである。一部に、木製柄の痕跡が残るもの(図110-6)も存在する。鉄鏃は21点の出土があり、鑿根(のみね)式(図110-8・9・10)、尖根(とがりね)式(図110-11・12・13)、平根(ひらね)式(図110-15)、雁股(かりまた)式(図110-16)、ほか(図110-14)がある。鎧の部品である小札は5点出土し、紐通し穴が三列になった三ツ目札(図110-17)以外は一般的な小札(図110-18~21)である。また、馬具の轡(くつわ)らしい製品(図110-22・23)もある。

図110 境関館遺跡出土鉄製品(1)

 生活用具及び道具・工具としては、鍋(図111-1・2・3)、紡錘車(図111-4~7)があり、4と5は軸だけ、6・7は木製円盤が残存する例である。苧の繊維を取る道具として苧引金(図111-8・9・10)、かすがい(図111-11・12)、釘(図111-13~16)、楔(図111-17・18)、手斧(図111-19・20)、鋸(図111-21)、鎌(図112-1~4、1は木質の柄が付いている)、鉈(図112-5・11)、鑓鉋(やりがんな)に類似する製品(図112-10)とともに管状鉄製品(図112-6・7)、機能不明鉄製品(図112-8・9)があり、報告では楔状鉄製品という名称を付した製品(図112-12・13・14)は鍛造加工途中の未成品、鋼素材としての流通品(鉄鋌(てつてい)と呼ばれる)などの機能が想定される重要遺物である。

図111 境関館遺跡出土鉄製品(2)


図112 境関館遺跡出土鉄製品(3)

〔銅製品〕 銅製品は22点の出土があり、宗教具及び細工金具が多い。
 鏡は5点出土し、鏡背文様が分かるものは秋草双鳥文(図113-1)、菊丸散双鳥文(図113-2)、蓬莱文(図113-3)があり、縁部分(図113-4・5)の破片もある。1と2はどちらも一対の穿孔が認められることから、鏡像・懸仏的な使用がなされていたことも推定できる。
 仏具である高台(図113-8)は、押し潰されているため原形を保てない状況である。ほかに、小柄(図113-6)、簪(図113-9)、鋲(図113-10)などはある程度理解できるが、飾り金具や部品の類は明確に機能を特定することは困難である。なお、きせる(図113-14)、こはぜ(図113-13)は城館期以降の製品である可能性が高い。

図113 境関館遺跡出土銅製品

図113付表 境関館遺跡出土銅製品観察表
番号出土地区層位種類備考
1ⅠK-96和鏡径11.0cm,縁高0.6cm,縁厚0.33cm,鈕座菊
2ⅠQ-92Ⅱ下和鏡径11.0cm,縁高0.82cm,縁厚0.37cm,鈕座蓮
35号堀5層和鏡径11.0cm,縁高0.82cm,縁厚0.43cm,鈕座亀
4ⅠR-102和鏡縁高0.9cm,縁厚0.5cm
5ⅡC-84和鏡縁高0.6cm,縁厚0.55cm
66号堀底面小柄幅1.3cm,棟方0.3cm
7ⅡSK-141留金具
8ⅡE-79Ⅱ下高台6.4cm×5.8cm
9ⅠQ-112耳かき
10ⅠM-92長さ3.4cm,頭部径1.1cm
11ⅡA-80頭部径1.5cm
12ab31号井戸3吊り金具長さ11.0cm,幅1.25cm,毛描文様あり,鍍金12a 12b
13ⅠT-117こはぜ
14ⅡD-88Ⅱ下きせる径1.0cm
15ⅠO-93性格不明
16SB01 X5Y15性格不明花模様,径1.65cm
17排土性格不明花模様
18ⅠS-101性格不明動物模様
19Ⅲ郭性格不明
20ⅡA-107性格不明長さ5.1cm,径1.8cm
21ⅠO-99性格不明
22ⅠO-93性格不明

〔石製品〕 石製品には、石臼(茶臼・粉挽臼)・砥石・硯・温石(おんじゃく)・板碑がある。
 茶臼(図114上半)は、下臼に受け皿が付き上臼の挿入口は中央に位置する。引き手孔は菱形成形された部分に付き、全体に研磨された状況を呈する。粉挽臼(図114下半)は、上臼の挿入口が中心からずれた位置にあり、下臼に受け皿はない。茶臼と粉挽臼は、擦り目がそれぞれ8分割の主溝とその間に入れる副溝によって構成されているが、その方向は逆である。

図114 境関館遺跡出土の茶臼と粉挽臼

 硯(図115-1・2)は素材をそのまま生かした成形のものが2例出土し、温石(図115-3)は長さ16.7cm幅10cmの比較的大形の製品で、現代ではカイロのような役目をするものである。
 砥石は、断面形が方形の例(図115-4~7)と断面形が偏平な例(図115-8・9・10)、それに断面形が多面角を呈する例(図115-11~14)などがあり、総数74点が出土している。

図115 境関館遺跡出土の硯・温石・砥石

 ほかに、円盤状石製品やくぼみ成形をした製品などが見られる。
〔銭貨〕 銭貨は、38種682枚(寛永通宝1枚を除く)が出土した(表2参照)。特に、Ⅱ郭SE03の井戸跡からは、緡(紐で連なった状態)になった363枚の埋納銭が石臼や曲物・紡錘車・楔状鉄製品(鉄鋌)などと出土し注目された。以下に、銭貨出土一覧表と、SE03井戸跡から出土した銭貨拓影(図116、図117)の一部を例示する。
表2 境関館遺跡出土古銭一覧表( )内は遺構内
No.銭貨名初鋳年中国年代日本Ⅰ郭Ⅱ郭Ⅲ郭表採境関館
(遺構内)
比率
1開元通寳621 907奈良43(36)4( 4)249407.2
2光天元寳前蜀918三国794平安1( 1)110.1
3宋通元寳北宋960北宋 9602( 1)2( 1)420.6
4太平通寳北宋9762( 2)220.3
5淳化元寳北宋9901  1( 1)210.3
6至道元寳北宋9957( 4)2( 1)11051.5
7咸平元寳北宋9981( 1)2( 2)330.4
8景徳元寳北宋10044( 2)2( 1)1731.0
9祥符元寳北宋100813( 9)4( 2)17112.5
10祥符通寳北宋10085( 4)540.7
11天禧通寳北宋101712( 6)5( 3)21992.8
12天聖元寳北宋102316(13)3( 2)120152.9
13景祐元寳北宋10341(1)8( 7)11081.5
14皇宋通寳北宋103932(26)12(10)448367.0
15至和元寳北宋10545( 4)540.7
16嘉祐元寳北宋10566( 5)650.9
17嘉祐通寳北宋10569( 7)5( 2)111692.3
18治平元寳北宋106410( 6)1061.5
19治平通寳北宋10643( 1)310.4
20熈寧元寳北宋106856(39)13( 5)61764411.1
21元豊通寳北宋107866(55)7( 4)3765911.1
22元祐通寳北宋108652(46)7( 3)1161498.9
23紹聖元寳北宋109422(14)2( 2)24163.5
24元符通寳北宋10987( 6)1861.2
25聖宋元寳北宋110118(14)1120142.9
26大観通寳北宋11074( 3)1530.7
27政和通寳北宋1111 17(15)
1( 1)
12 20
1
15
1
2.9
0.1
28宣和通寳北宋1119
29淳熈元寳南宋1174南宋1( 1)110.1
30嘉定通寳南宋12081192
 
 
 
1279
鎌倉2( 2)220.3
31大宋元寳南宋12251  10.1
32端平元寳南宋12341  10.1
33皇宋元寳南宋12534( 2)420.6
34景定元寳南宋12601( 1)110.1
35至大通寳131013331  120.3
36大中通寳1361
1368
室町
1( 1)110.1
37洪武通寳136830(26)3( 3)134295.0
38永楽通寳140837(33)2( 2)342356.2
39寛永通寳江戸1600江戸1  10.1
判読不能46(34)8( 3)92653710.0
合計1(1)548(427)87(52)407683480100.0


図116 境関館遺跡3号井戸出土銭貨(1)

図116付表 境関館遺跡3号井戸出土銭貨(1)
番号銭貨名地区層位直径外輪厚外輪幅重さ書体備考
91-1開元通寳3号井戸粘土層25.3mm1.3mm2.0㎜3.9g背文「〓」
2開元通寳23.81.02.03.3  「〓」
3開元通寳24.91.21.53.6  「〓」
4開元通寳23.71.01.93.3  「〓」
5開通元寳24.11.02.93.5  「洛.ノ」
6宋通元寳24.51.02.93.5
7太平通寳24.61.02.63.5
8至道元寳24.81.13.03.7
9至道元寳24.70.93.13.5
10至道元寳24.80.92.83.7
11咸平元寳24.51.02.33.2
12景徳元寳24.81.11.73.3
13祥符元寳25.31.02.83.5
14祥符通寳24.91.22.94.3
15祥符通寳23.21.12.13.0
16天禧通寳25.00.82.13.4
17天聖元寳24.50.82.1(3.0)
18天聖元寳24.50.91.53.3
19景祐元寳24.21.12.83.6
20景祐元寳22.60.91.92.6輪側加工
21景祐元寳25.21.32.3(3.7)
22皇宋通寳23.71.02.43.2
23皇宋通寳25.01.62.54.5
24皇宋通寳24.31.12.0(3.3)
25皇宋通寳24.71.12.23.0
26至和元寳24.00.92.73.4
27至和元寳23.80.92.73.1内部加工銭
28嘉祐元寳24.71.12.53.7
29嘉祐元寳23.51.02.24.0
30嘉祐通寳23.91.01.83.5


図117 境関館遺跡3号井戸出土銭貨(2)

図117付表 境関館遺跡3号井戸出土銭貨(2)
番号銭貨名地区層位直径外輪厚外輪幅重さ書体備考
92-1嘉祐通寳3号井戸粘土層24.8mm1.3mm2.8㎜(4.4)g
2治平元寳23.81.22.63.7
3治平元寳24.11.52.54.7
4治平通寳24.01.12.33.5
5熈寧元寳23.61.42.04.2
6熈寧元寳23.61.32.64.0
7熈寧元寳24.11.11.73.8
8熈寧元寳24.01.01.82.9
9熈寧元寳23.71.42.34.1
10熈寧元寳24.41.02.33.6
11元豊通寳23.31.22.43.6
12元豊通寳24.81.02.3(3.2)
13元豊通寳25.31.23.5(4.3)
14元祐通寳24.71.12.1(3.8)「・」
15元祐通寳24.31.03.43.5
16元祐通寳24.20.91.93.1
17紹聖元寳24.01.12.83.9
18紹聖元寳24.61.22.94.4
19紹聖元寳23.61.02.33.5
20元符通寳24.01.02.23.7
21元符通寳24.41.12.93.9
22聖宋元寳24.51.02.13.3
23聖宋元寳24.61.02.83.5
24聖宋元寳24.30.72.63.1
25聖宋元寳24.11.12.0(3.6)
26聖宋元寳24.61.02.34.0
27大観通寳24.31.31.43.0
28政和通寳23.71.01.43.4
29政和通寳24.41.11.73.6
30政和通寳24.00.81.53.0
31宣和通寳24.61.31.43.3
32淳熈元寳23.90.92.23.0「十三」

〔木製品〕 形状の分かるものは38点あり、曲物、漆器椀、箸、針、折敷、柄、柾目板ほかがあり、竹製品も出土している。
 箸は、井戸跡から出土したもので、完形品(図118-1・3)は長さが19cm、両端を細く削った状態であり、破損品(図118-2・4・5)も同様であろうと推定される。木針(図118-6)は、繊維質の製品を制作する時に使用したものと考えられ、柄(図118-8)、折敷(図118-9)、板状の部分品(図118-10・11)、柾目板(図118-12)、椀は赤漆(図118-13・15)と黒漆(図118-14)がある。
 曲物は、基本的に側板と底板からなり、底板の中で側面に木釘の痕跡を有する例(図119-1・2・3)と無い例(図119-7・8・9・15)がある。側板は、薄く削った柾目板を丸め桜の皮などで綴じるものであるが、大きさは大小あり、小型の製品(図119-4・5・10)と井戸の井筒に使われるような大形の製品(図119-11・12・13・14)がある。なお、曲物の蓋(図119-6)と推定されるつまみを有する例もある。

図118 境関館遺跡出土木製品(1)


図119 境関館遺跡出土木製品(2)

 竹製品は、部分的に黒漆が塗られていることから、矢に使用する部品と推定されている(図118-7)ものが2点出土している。
〔境関館の遺構の変遷〕 境関館遺跡は、13世紀から16世紀まで連綿と人々が生活していた痕跡を遺構・遺物の面から実証した。それらの成果を基に遺構の変遷を推定すれば、図121のようになる。14世紀前葉までの遺構と14世紀中葉以降のでは、区画意識に変化が認められ、15世紀前葉と中葉が最盛期を迎えることが分かる。そして16世紀前半には、城館としての機能を失うのである。なお、この遺構変遷を基に遺跡全体の区画意識を推定したのが図120であり、城館の縄張りも時代によって変化することが分かる。

図120 境関館遺跡の区画変遷図


図121 境関館遺跡の遺構変遷図

※参考文献 三浦圭介・赤平智尚ほか『境関館遺跡…中小河川平川改修事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財発掘調査報告書102集)1987年