弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編1(考古編)

新編弘前市史 資料編1(考古編)

第5章 弘前市内の主な遺跡

第2節 古代の遺跡

(遺跡番号 02088)(図40~45)
(1)所在地 弘前市大字石川字長者森9番地ほか
(2)遺跡の立地
 遺跡は標高60m~80m、長さ約240m、幅50m~130mの独立した低丘陵上に立地している。
(3)調査の経緯
 学校法人東奥義塾の移転に伴い、石川長者森遺跡発掘調査委員会及び石川長者森遺跡発掘調査団が、昭和61年(1986)から同62年(1987)にかけて発掘調査した。
(4)遺跡の概要
 遺跡は、弥生時代末期(3世紀末~4世紀前半)の遺物散布地、奈良時代末~平安時代(8世紀後半~9世紀前半)の終末期古墳群の可能性の高い遺構群、平安時代後半期(10世紀中葉~11世紀前葉)の防御性集落の複合遺跡である。遺跡は、標高60m~80m、長さ約240m、幅50m~130mの独立した低丘陵上に立地する。
〔終末期古墳様遺構群〕 丘陵北側に隣接した標高約50mの地点で、円形周溝がまとまって3基検出されている。このうち、1号遺構は外径約3m、内径約2.2m、深さ約5cmの周溝である。この周溝内及び周溝にまれた内部には、埋葬施設は検出されておらず、また遺物の出土もない。2号遺構は、円形周溝の約半分しか検出していないが、規模は1号遺構とほぼ類似する。3号遺構は全体の約3分の1の検出であり、全体的な規模は不明である。これら3基の円形周溝は、それぞれ1.5mほどの間隔を有し、重複は見られない。調査面積から推測すると、隣接地にはまだ多くの類似遺構が検出される可能性が高い。
 遺構内及び周辺から出土遺物もなく、構築時期及び性格等の詳細は不明であるが、本周溝は東北地方北部から北海道道央部にかけて、7世紀~9世紀前半期に築かれた終末期古墳群に類する構造を持つ。これらの古墳群は、7世紀~8世紀前半期においては、周溝にまれた内部を長方形に掘り込み埋葬施設を作るものが一般的であるのに対し、8世紀後半~9世紀前半期には、主体部が逆に生活面上に築かれるものが大多数を占める。そのため遺構検出時には、盛土が残っていない場合は円形周溝のみが検出されることになる。一方、埋葬時の副葬品や葬送儀礼における祭祀遺物については、前者が各種玉類を含む多くの鉄製品等の遺物が用いられるのに対し、後者は極めて少なくなり、しかも単純化する。この傾向は、特に8世紀末~9世紀前半期で顕著である。このように、東北地方北部から北海道道央部にかけての終末期古墳群の変遷から本遺構群をとらえると、8世紀末~9世紀前半期の終末期古墳群の可能性が高い。津軽地方における類似遺構は、尾上町原古墳群(8世紀)・青森市近野遺跡(8世紀末~9世紀前半)・同三内丸山(2)遺跡(9世紀)に見られる。そのほとんどは、生活面を掘り込んだ主体部が発見されず、周溝のみの検出にとどまっている。また、祭祀遺物も少ない。
〔防御性集落〕 南東から北西方向に伸びる長さ約240m、幅50~130mの独立丘陵は、10世紀後半~11世紀において、集落全体を空堀で保塞した防御性集落として使用されている。試掘調査のため、集落及び保塞施設の全容は明らかでないが、遺跡全体に設定された各トレンチで空堀跡が検出されている。空堀跡は断面が「V」字状の薬研堀であるが、一部箱薬研状を呈するものもある。開口部の幅は、2~3.6m、深さ1.4~2.5mである。これらの空堀跡は、丘陵斜面上の標高66~71mの等高線上にあることから、この位置で丘陵全体をっているものであろう。丘陵頂部平坦面に配置した竪穴住居群を主体とした集落全体を、保塞する性格を有する施設である。
〔竪穴住居跡〕 空堀にまれた丘陵頂部のトレンチで3軒の竪穴住居跡が検出された。
 第1号住居跡は、改築された竪穴で、改築以前のもの(第Ⅰ期)は北東側が一部削平されているが、一辺が5.3mの方形を呈する。周溝は検出されなかったものの、壁際には40~50cm間隔で壁柱穴が28個検出された。なお、かまど跡及び炉跡は検出されていないが、削平を受けた北東側にあった可能性が高い。改築後のもの(第Ⅱ期)は、幅約60cm、厚さ約20cmの粘性土によるテラス状の段が南・西壁側及び北西壁側に築かれている。当期のものもⅠ期同様かまどは検出されていない。竪穴内からの出土遺物としては、土師器甕・同坏・砥石がある。坏は、底部に回転糸切痕を残すロクロ使用のもので、内外面に再調整がなく、しかも直線的に外反する器形に特徴を持つ。甕のうち、2点は頸部が短く大胆なケズリ手法を用いたもので、他の1点は土渦状の形状を呈する。いずれも、10世紀後半から11世紀前葉期の特徴を持つ。
 第2号住居跡は、丘陵南東部で検出された一辺約4mの方形の竪穴である。これも北東壁寄りで削平を受けている。竪穴内に柱穴及びかまどは検出されていない。出土遺物は、図化不能な土師器片が数点あるが、10世紀後半~11世紀前半の特徴を示す。
 第3号住居跡も、丘陵南東で検出された一辺約5mの方形の竪穴である。南壁際に幅約20cm、厚さ約10cmの段状施設がある。柱穴は、壁際に5個検出されたが、かまど及び炉は検出されていない。遺物は、土師器坏・同甕・砥石2点が出土した。坏は、内面に黒色処理が施されたロクロ使用のもので、底部に簾状圧痕を持つ。甕は、頸部が短いケズリ調整のものである。いずれも、10世紀後半~11世紀前葉期の特徴を有する。砥石は、一点が安山岩製、他が珪質頁岩製で、ともに3面使用している。
※参考文献 学校法人東奥義塾『石川長者森」1987年3月

図40 石川長者森遺跡地形及び調査区設定図(網部分)


図41 石川長者森遺跡空堀跡推定図(網部分)


図42 石川長者森遺跡 堀跡断面図


図43 石川長者森遺跡竪穴住居跡


図44 石川長者森遺跡出土遺物(土師器・須恵器)


図45 石川長者森遺跡出土遺物