弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編1(考古編)

新編弘前市史 資料編1(考古編)

第3章 古代

第3節 飛鳥・奈良・平安時代

3.古代の生産活動と生活用具

(4)漆器・木器生産

 古代における、一般的な食膳具は、土師器・須恵器の坏(椀)・皿類であるが、このほか木製漆器の食膳具も生産使用されている。
 漆塗の技術は、縄文時代前期(約6000年前)には既に開始されており、縄文時代晩期(約3000年前)、とりわけ東北地方北部を中心とする亀ケ岡文化圏において隆盛を極めている。それは、木胎漆器だけではなく、植物のつるで編んだ籃胎(らんたい)漆器、あるいは織布を用いた布胎(ふたい)漆器などの生産に現れている。
 しかし、この漆器技術も弥生時代には日本からほとんど消滅し、再び本格的に登場するのは、律令制度導入後とされ、このころ、箸を含めた、新しい食事様式とともに、ロクロ挽きによる漆器製作技術を大陸から取り入れたものと考えられている。
 律令期の漆器生産は、その貴重性からほとんど官工房や寺社、あるいは有力豪族の私工房においてのみ生産され、供給も上層の階層だけで、一般民衆とは全く縁のない供膳具であった。東北地方においても供給・使用されている遺跡は、秋田城・胆沢城などの古代の城柵や官衙遺跡、あるいはそれと直接関係のある遺跡だけで、一般農村集落からの出土はほとんどない。しかも、これまで判明している漆器の種類も皿のみで、『延喜式』の「内匠寮式」に見られる椀や壺などの、比較的高度な技術を要するものは出土していない。
 このころの青森県では、9世紀初頭の八戸市和野前山遺跡第2号竪穴住居跡から皿が4例出土しているにすぎない。なお、この遺跡は、比較的規模の大きい掘立柱建物跡や墨書土器も共伴することから、律令制社会と深くかかわり合う遺跡の可能性がある。
 律令制度が崩壊した10世紀後半には、津軽地方を中心に食膳具生産に大きな変革が起きている。それまで、一般民衆の食膳具の主体を占めていた土師器や須恵器製の坏・皿類の生産が減少し、代わって木製椀・皿の生産が本格的に開始された。
 これは、一般民衆が富裕化し、律令期の上層階層の嗜好を満足させたものと同様の高価な漆器を求めたのではなく、大量生産が可能で安価な漆器の生産が始まったからである。
 本県では、これまでのところ大鰐町大平遺跡・同砂沢平遺跡・黒石市高館遺跡・碇ヶ関村古館遺跡・木造町石上神社遺跡など、津軽地方を中心に12遺跡で発見されている(なお、この時期の木器の出土例は、全国的にも津軽地方が注目される)。
 この背景には、律令制の崩壊に伴う生産体制の地方分散などの政治的・社会的理由のほかに、工人自らによる技術革新が挙げられる。
 この技術革新には二つの側面があり、一つは漆の塗装技術、もう一つは木胎生産技術である。
 最初に漆の塗装技術を見る。律令制に組み込まれた官工房での生産は、黒色漆器・朱漆器を問わず、木胎の上に布を着せ、高価な漆を何度も塗り重ね(8回前後か)、研ぎを含む各工程に相当な労力を費やす堅地法を取っており、この技術はそのまま現代まで引き継がれている。
 一方、10世紀後半以後の津軽地方で生産された漆器は、近年行われた塗膜分析と定性分析結果から、炭粉渋下地法によるものと判明している。それは、柿渋に炭粉を混ぜ合わせたものを下地に施し、上塗りだけに漆を用いる簡素な方法である。
 この技法は、高価な漆の量を大幅に減らし、しかも複雑な工程を省略することによって、安価でしかも大量生産が可能になるものである。
 これは、同時に漆器そのものの普及にも拍車がかけられ、11世紀中葉には供膳具のほとんどが土師器から漆器へと置換されることとなる。この現象は津軽地方のみならず、北陸地方を含む東日本全体に及ぶことが予想されている。
 また、木胎生産技術の革新は10世紀中葉と11世紀中葉の二つの時期に認められる。東北地方においては、律令期を通じ漆器の器種は、皿がほとんどであることは前述したが、10世紀中葉には身部の深い椀が主流となる。
 これは、布着せや漆の省略化ともかかわり合うが、それにも増して、ロクロ・カンナを含む木地挽き技術の進歩によるものであろう。この時期の底部は高足高台で、台部と身部が個別に製作された後に、木クギや竹クギ等により接着されるものが多い。この手法は現在のところ、津軽地方のものしか知られていない。なお、高台部は律令期のものと同様に、外面が平たんなべタ高台である。
 この時期の製品は、石上神社遺跡・浪岡町源常平遺跡などで比較的多い。また、大鰐町大平遺跡H-21号竪穴住居跡においては、身部と台部の荒型(全国的にも荒型の出土例はまれである)が12個重なり合う状態で出土している。手斧及びノミ削りだけのもので、原木の伐採・分割・荒型作り・ロクロ挽き・漆塗工程という生産システムの中で、荒型作りの分業を担当した木地師であろう。
 11世紀前葉での木地製作は、中世以後、現代まで見られるものと、ほとんど同一の手法となり、技術的にはほぼ完成の域に達したものと言える。律令時代から王朝期にかけて見られたべタ高台、あるいは接合技法を用いる足高高台の技術は、この時期に輪高台技術へと置換されている。大鰐町砂沢平遺跡で発見された9点は、すべてこの技法による。製作工程が判明するものからは、ロクロによる身部製作→高台部の成形→高台部に打ち込んだロクロ周囲の削り→ノミによるロクロ爪の除去の各工程が分かる。
 輪高台を持つ漆器の出土例は、このほか黒石市高館遺跡、青森市細越遺跡のなどで、共伴する土師器・須恵器は11世紀のものである。なお、輪高台を持つ漆器は、12世紀代の奥州平泉藤原氏関連の柳之御所跡をはじめとして数多く出土しており、漆器生産が一層活性化したことを物語っている。
表5 青森県の木製容器(漆器)一覧表
遺跡名形態の特徴成・整形の特徴時期備考
牡丹平南遺跡椀(漆塗か?)1点10世紀
鳥海山遺跡坏1点11世紀焼失家屋出土
石上神社遺跡台付坏1点,皿1点,台付皿2点足高,高台10世紀中土壙・溝より出土
三内遺跡椀2点「フ」字形刻み(底部外面)
源常平遺跡坏1点,体部上半で有段ロクロ,べタ高台10世紀約1/2残存
高館遺跡盆か皿1点
椀4点
脚付皿か盃1点
本鉢か?1点
ロクロ
糸底
ロクロ
器面に刃物の削り痕
11世紀後半 
「天」の刻字あり
細越遺跡黒漆椀1点ロクロ,糸底11世紀
大平遺跡椀・皿等12点(すべて荒型)手斧,のみ等による成形10世紀後半木地師工房跡
砂沢平遺跡椀9点(台部を有するものあり)糸底11世紀後半焼失家屋出土
和野前山遺跡皿形6点ロクロ9世紀初頭焼失家屋出土
杢沢遺跡黒漆塗椀1点
器高(2.8cm),底径8.7×7.5cm
ロクロ,べタ高台10世紀後半~11世紀井戸跡出土
大沼遺跡黒漆塗椀(身部のみ)ロクロ   〃


図74 古代の木製椀(1)


図75 古代の木製椀(2)


図76 古代の木製椀(3)


図77 古代の木製椀(4)


図78 古代の木製椀(荒型)(1)


図79 古代の木製椀(荒型)(2)