弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編1(考古編)

新編弘前市史 資料編1(考古編)

第3章 古代

第3節 飛鳥・奈良・平安時代

2.集落と住居

 青森県内で4世紀から6世紀までの古墳時代併行期には、遺跡は発見されているものの集落跡は確認されていない。しかし、次の7世紀(飛鳥時代)になると、県内各地で集落が出現し始める。この理由については、弥生時代後期に始まった気候寒冷化により衰退した農耕が、この時期の気候温暖化によって、再開されたことによるものと考えられている。すなわち、土地を基盤とする農耕が一定の土地への定住化を促した結果、竪穴住居群の集合体としての集落跡として残されたものと考えられる。
 津軽地方のこの時期の集落跡では、浅瀬石遺跡(黒石市)、李平(すもだい)下安原遺跡・原遺跡・李平Ⅱ遺跡(尾上町)、沢田Ⅱ遺跡(青森市)などがある。

図7 8世紀~9世紀の集落跡(黒石市浅瀬石遺跡)


図8 8世紀~9世紀の集落跡(尾上町李平下安原遺跡)

 これらの集落は、沖積平野を望む低丘陵の先端部や河岸段丘の高位面、あるいは平野部の微高地に立地し、この時期県南地方に一般的に見られる山間部集落は未だ発見されていない。また、この時期は律令体制側と緊張状態であったにもかかわらず、集落を保塞する施設は認められない。さらに、津軽地方のこの時期の集落の特徴としては、そのまま同一地域内で9~10世紀へと存在するものが多い。
 この時期の集落は、一般的に数軒から数十軒ほどの、かまどを持った竪穴住居と、数棟の掘立柱建物跡(倉庫)、あるいは1~2棟の工房跡で構成される。各竪穴間は10m~20mの間隔で配置され、その中央部周辺にはやや規模の大きな竪穴住居がある。この竪穴住居は、集落の中心的役割を果たした「村長(むらおさ)」の住居であろう。この時期の竪穴住居跡は、基本的には縄文時代に起源を持つものであるが、青森県の中では古墳時代の約3世紀間が不明であり、在地の系譜としてとらえることは不可能である。この時期の竪穴住居の構造は、弥生時代とは二つの点で大きく変化した形が現れるが、その一つは平面形態である。縄文時代晩期から弥生時代を通じて円形であったのが、この時期には方形に変化している。
 もう一つは、弥生時代までは竪穴中央部付近に炉を持っていたのが、この時期には炉に代わって、壁際に煙道を持った作りつけのかまどが設置されていることである。かまどは古墳時代前期から中期にかけて、朝鮮半島からの影響で作られたもので、農耕文化の象徴とも言える施設である。炉からかまどへという炊事施設の一大変革は、隣接する東北地方南半部の影響によるものであろう。

図16 7~8世紀の竪穴住居跡

 このほか、細部の構造では、7世紀から8世紀前半にかけては、かまどにかける煮炊具(甕)の受け口が2個であったのが、8世紀後半以後には1個となることや、かまどの袖の芯材として長胴甕を両袖部の前面に埋め込むこと、あるいはかまどの設置する位置が北壁辺の中央部に限定されることなどの特徴がある。かまどを北側に設置する風習は、7世紀以後9世紀前葉期までかたくなに守られている。この原因はまだ明らかにされていない。