弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編1(考古編)

新編弘前市史 資料編1(考古編)

第3章 古代

第3節 飛鳥・奈良・平安時代

1.各時代の概観

 律令体制の崩壊から王朝国家へと変容した10世紀後半期から11世紀にかけての約1世紀半、北緯40度以北(米代川流域以北)の東北地方北部は、独自の文化的発展を見た時期である。その特徴は、以下の点に認められる。
①土器文化では、東北地方北部に特有な現象がいくつか認められる。それは、木器(漆器)生産の発達による土師器坏の極端な減少、把手付土器や内面黒色処理壺、あるいは蒸籠形甑などのこの地方独特の器種の定着化などである。さらに、11世紀後半では内耳土鍋や鉄鍋も散見する。また、この時期、北海道に拠点を置く擦文土器も急激に浸透する。擦文土器の分布域は大きく、Ⅰ区(下北半島)・Ⅱ区(外ヶ浜)・Ⅲ区(岩木川流域)・Ⅳ区(米代川流域)の4ブロックに分かれるが、中でもⅢ区の密度が最も濃い。馬淵川流域周辺及び北上川上流域周辺地域では、これまでの調査からは確認されていない。
②この時期に、集落の様相が大きく変化する。「防御性集落」の出現であり、これには集落全体を諸施設で同時に保塞するもの(津軽型高地性防御集落-古館・砂沢平・中里城等)と、集落だけを空堀で区画した構造のもの(上北型高地性防御集落)の二つのタイプがある。
 前者は、津軽地方を中心として米代川流域以北の日本海側に、後者は太平洋側に多く分布する。これらの集落からは、鉄鏃等の武具類の出土が多く、緊迫した社会情勢下にあったことがうかがえる。なお、この種の集落は東北地方南部以南にはなく、この地方だけに見られる特異な現象である。
③農業・製鉄・製塩・漆器生産・窯業・馬産等の産業が全体的に極めて活発化した時期である。
 農業はそれ以前と同様、稲作を主体に雑穀栽培を含めた混合農業であるが、岩木川水系の中・下流域の広大な平野部に進出する(石上神社・松枝・大沼遺跡等)。
 また、鉄生産は、この時期、東日本の中でも卓越した状態で岩木山麓(杢沢(もくさわ)・大館森山・大平野Ⅲ遺跡等)や米代川流域(堪忍沢(かんにんざわ)・寒川Ⅱ遺跡等)に展開することが知られている。
 さらに、塩生産は、陸奥湾沿岸において集中的に行われており、約30の遺跡が確認されている。
 漆器生産は、この時期に大きな転換期を迎え、10世紀中葉と11世紀初めの二つの技術革新により量産体制が整い、食膳具としての土器を凌駕し、ほとんど漆器椀・皿に置換される。
 これらの各生産物の供給については、特殊な生産物以外は供給の痕跡が残っていない。特に、農産物はその最たるものであろう。しかし、遺跡から出土する同時期の産物である窯業製品、すなわち須恵器の交易内容を通して、その軌跡をうかがうことができる。
 10世紀初頭から11世紀中葉期まで操業した五所川原市持子沢系・前田野目系窯跡群の須恵器は、器形及び胎土に、他の窯産のものに比較して際立った特徴を持つ。これまで判明している出土遺跡の分布を見ると、南限は日本海側では米代川流域、太平洋側では馬淵川上流域、北限は常呂(ところ)川流域・石狩川上流域である。すなわち、米代川流域と馬淵川上流域を結ぶ北緯40度以北の本州と、北海道のほぼ全域である。これは、奇しくも前述した「擦文土器」の分布域と全く重複する。五所川原窯群は、明らかにこの地域の文化圏に供給の焦点を当てた築窯と言えよう。また、時代的に重複する岩木山麓を中心とする鉄生産、あるいは陸奥湾沿岸に展開する製塩業等の手工業的生産物はもちろんのこと、農業生産物の中でも、とりわけ米なども須恵器の供給圏と重複すると見てよいだろう。北海道においては、製鉄にかかわる製錬遺物や製塩遺物が未発見であることも、逆にこのことの傍証ともなろう。また、米は札前(さつまえ)・大川遺跡等、北海道において近年徐々に出土例が増加している。
 地理的条件のみならず、古代の土器文化の類似性等を含めてこれらの問題を考えると、10世紀後半から11世紀にかけて、米代川流域を境とする北緯40度以北の東北地方北部は、北海道全域を含む北日本の拠点的地域としての役割を担ったものと言えよう。