弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

資料編1(考古編)

新編弘前市史 資料編1(考古編)

第2章 旧石器・縄文・弥生

第5節 葬法

3.甕棺(土器棺)墓

 弥生時代になると、九州などの西日本では埋葬用の大型合口甕棺が作り出されており、内部から人骨はもとより、青銅製の剣・鉾・鏡や玉類などの副葬品が発見される例も多いが、本州最北の本県では、同様な遺物は出土しておらず、弥生時代の甕棺葬的な風習は伝播しなかったのであろう。当地方に特徴的な土器を利用し、甕棺に使用した可能性の高い例が、西津軽郡深浦町広戸の吾妻野Ⅱ遺跡で数点出土している。その中の沈線間を刺突文で埋めた大型の壺形土器は、発見当時に甕形土器が逆さになって蓋の役目をしていたという。壺型土器は、器形と施文文様の特徴から遠賀川系土器に含まれるものであり、共伴した土器には砂沢式土器が多く、当地方の弥生時代初期に位置付けられよう。なお、この壺型土器は高さ47.5cm、口径30.8cmあり、発見当時人骨が入っていたか否かについては不明である*243
 またこれに類似する至近の資料としては、隣の岩手県にもあり、本県に接する二戸市上斗米の金田一川遺跡から出土している。土器は、縄文時代晩期の大洞A’式壺形土器で、同形式の鉢形土器が逆に蓋になっており、内部には推定34~35歳位の成年男子骨が入っていたと伝えられている*244。蓋に相当する土器で口をふさいだ、いわば合口甕棺のもう1つの例が南津軽郡尾上町猿賀の五輪野遺跡で発見されている。いずれも、遠賀川系土器の影響を色濃く有するもので、第1号棺は口縁部が失われた大型の壺形土器であり、現存の高さ54cm、胴部最大径54cm、底径15cmと計測され、その上部に上半部が打ち欠かれた壺形土器(現存の高さ36cm、胴部最大径50cm、底径14cm)を倒立させ、蓋をさせた状態にすると総高は78cmになるという。第2号棺は、フラスコ状土壙の中から出土したもので、第1号と同様に合口とすれば総高84cmとなる。この棺の本体は、広口の壺形を呈し、高さ58cm、口径36cm、胴部最大径55cm、底径15cmと計測され、その上部に上半部を欠いた甕形土器を倒立させて合口甕館としていたのであろう。この本体の土器には、胴部のひび割れ拡大を防ぐための補修孔と、底部に二次穿孔が認められている。両土器とも胴部の最大膨張部に点列を配し、それを沈線で画しており、胴部の張り方から見ると先述の遠賀川系の色彩が強く、弥生時代前期の1期ないしは2期の初段階に位置付けられるものと考えられる。なお、両土器ともに、内部には人骨その他副葬品は検出されていない*245

図27 甕棺(土器棺)墓
甕棺(土器棺)3基…倉石村・薬師前遺跡(後期)


3号棺内の人骨発見状態…倉石村・薬師前遺跡


甕棺(土器棺)…黒石市・長坂1遺跡4号土壙出土(黒石市教育委員会蔵)


3号棺内の下部で発見された頭骨ほか…倉石村・薬師前遺跡