弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編5(近・現代2)

新編弘前市史 通史編5(近・現代2)

第五章 戦後の弘前

第四節 教育の変遷

二 新制中学校の誕生

初期中学校において、長欠者と未就学者の問題が大きな悩みであった。青森県が昭和二十三年二月一日発表の「中学校未就学・長欠生徒数」で見るとおり、県全体で未就学者だけで三二七人に及んでいる。その大半が「家事手伝」と「父兄の無関心」であるが、一方、郡部の中学校の中には「一年間未就学のままほおっておいた」学校もあり、学校当事者の義務教育制に対する熱意の低さも問題になった。
表29 中学校未就学・長期欠席の状況 (23.2.1)
(1)未就学・長欠生徒(2)未就学・長欠の理由別生徒数
郡市別未就学数長欠数原因未就学数長欠数
上北郡78235313家事手伝161697858
北郡53189242貧困33165198
南郡55168223父兄の無関心110149259
西郡3134137勉強嫌い-5858
東郡22158180通学困難-5656
下北郡51100151校舎不完全-2222
中郡3681117性行不良13637
三戸郡98998住所不明31013
八戸市57883精神薄弱92130
弘前市103545身体虚弱88694
青森市533383251,3001,625
3271,3001,627
『弘前市教育史』下巻より
(注)両表の計は一致しないが、そのままとした。

 この数字によって、青森県は「長欠、未就学生徒数全国一」の汚名を着せられるのだが、県教育委員会では各市町村教育委員会や、地方教育事務所を通して、長欠者と未就学生徒の登校を督励するよう指示した。しかし、就学や出席を強要することは、貧困家庭の労働力を奪いかねない事情もあり、学校側も苦悩した。
 学校側では家庭訪問用の自転車を備え、職員は空き時間や放課後に欠席者の家庭を訪ね、生徒の出校を促す一方、もっと学校に関心を持つようにと、思い切って授業のレベルを下げたり、女生徒には裁縫中心の学習を計画したり、「魅力ある学校づくり」に努める学校もあった。
 中津軽郡の中学校では、長欠のほかに農繁期の欠席者が多く、どの学校も七〇%前後の出席率であった。各学校とも出席率向上に躍起となるが、なかには、いったん登校後の早退は出席と認めた学校もあって、腰に剪定(せんてい)ばさみを吊(つる)した作業衣姿の生徒が、農作業に出かける途中学校に立ち寄るのを「出校早退」として出席率を稼ぐこともあったという。
 表彰制度も出席率向上のためにとられた一方法である。中地方教育事務所管内では、昭和二十七年三月、千年中学校船沢中学校、相馬村舟打鉱山中学校(舟打鉱山の閉山とともに廃校)がそれぞれ出席率九七%を挙げ、優良校として表彰されている。船沢中学校では出席率向上に格別力を入れ、昭和二十四年度と二十八年度にも表彰を受けたが、二十八年度のときは特に好成績で、県教育長、県教委連合会長、時事通信社、県教職員組合など、関係各方面からの表彰があった。同校の二十八年度の年間出席率は九九・八六%と高く、六月と一月は一〇〇%、他の月もすべて九九%以上という立派なものである。