弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編5(近・現代2)

新編弘前市史 通史編5(近・現代2)

第四章 戦前・戦中の弘前

第六節 恐慌・戦時下の社会運動と世相

一 津軽のナショナリズム

さらに養生会を有名ならしめたのは、明治三十年一月十三日、幼年養生会(一般に東門会という)が創立されたことで、体育を目的として早起き会を始めた。日本で一番早い早起会といわれ、六七年間続いた。彼らは毎朝未明に起きて弘前城東門前に集合、歌を歌い、遊戯をした。六歳から十六歳までの子どもたちが五、六十人集まった。昭和二年一月、伊東重の死去のあと東門会会長となった関久次郎の時代に、会は早起励行、自治協同のほかに養生興国を綱領に掲げ、尽忠報国の国家主義を標榜するようになった。
 養生会が修養団体から民族主義の思想団体化した最大原因は、創立者伊東重の息子六十次郎(むそじろう)の影響にある。六十次郎は昭和四年東京帝国大学の西洋史学科を卒業したが、在学中に大川周明などの国粋主義者と交遊、卒業論文を後に『日露戦争の世界史的意義』として出版、よく読まれた。父の思想を受け継ぎ、日本日露戦争勝利によるアジアの覚醒、特に反共の砦ともなる満州への積極姿勢が後輩を動かした。彼と石原莞爾の指導理論と北一輝の「日本改造法案大綱」は行き詰まった戦時中、知識人養生会員とその周辺に影響を与えた。後輩の鳴海理三郎佐藤正三小田桐孫一らは東亜連盟活動をした。