弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編5(近・現代2)

新編弘前市史 通史編5(近・現代2)

第四章 戦前・戦中の弘前

第六節 恐慌・戦時下の社会運動と世相

一 津軽のナショナリズム

相馬貞三(そうまていぞう)(明治四一-平成元 一九〇八-一九八九)は、南津軽郡竹舘村唐竹(現平賀町)に、りんごの生産・販売・加工を中心とした産業組合運動の先駆者として有名な相馬貞一(ていいち)の三男として生まれ、柳宗悦(やなぎむねよし)の民衆的工芸論に感銘し、濱田庄司河井寛次郎らとともに柳の民芸運動に参加、昭和十七年日本民芸協会初の地方支部として青森支部を結成、没するまで四七年間会長を務めた。棟方志功と親友で、志功は昭和十三年から毎夏、唐竹の「帰鳥山房」へ滞在、画筆をふるう生活を終戦時まで続けた。この『津軽之頌』の格調は相馬の高い志の反映である。
 大正八年(一九一九)、弘前の文学青年一戸謙三(いちのへけんぞう)らがパストラル詩社を結成(~大正十二年)、福士幸次郎(ふくしこうじろう)の指導を仰いだ。福士は大正十三年地方主義運動を始め、翌年東奥義塾教師となり、この地の青少年に大きな影響を及ぼした。彼は言う。
  土地の愛
故郷、故郷! ほかの土地の人間からどんなに詰らなく見えるところでも、これを故郷とする人間にとって土地が心に及ぼす作用は異常である。われ等がこの世に初めて生れいでた土地に生えてゐる一と撮(つま)みの草だって一とかけらの石ころだって、他(ほか)のどんな処でも味はふことの出来ぬ感動を、情愛を、時には思想をまでも齎してくれる。それは吾等人間と外界の間に横はる隠約な契合である。自己と環境との間に横はる微妙な必然法則である。
(大正十四年夏 津軽青女子)

 この理論の上に高木恭造(たかぎきょうぞう)の『まるめろ』や一戸謙三の『弘前(シロサギ)』などの方言詩の名編が生まれた。
  弘前(シロサギ)
何処(ド)サ行(エ)ても、
おら達(ダヅ)ねだけア
弘前(シロサギ)だけアえンたどごア何処(ドゴ)ネある!
岩木山(ユハキヤマ)ね守(まも)らエで、
お城の周(まわ)りサ展(フロダ)がる此あづましいおらの街(マヅ)…
  (略)
茂森(しげもり)だの新寺町(スンてらマヅ)だの
天まで生(オ)がてる年老(トシエ)た杉の樹(ギ)
私(ワ)の親も、その親達(ダヅ)も此処(コゴ)の土(ツヅ)!  
その土(ツヅ)の、底(ソゴ)の底(ソゴ)から湧(わ)エで来る水コ、
その水で、丈夫ね育(そだ)てるおら達(ダヅ)だ!
(ああ水て云(へ)ば、富田(トビダ)の清水(シツコ)…)
あゝ何処(ド)サ行(エ)ても、
おら達(ダヅ)ネだけア
弘前(シロサギ)だけアえんたドゴア何処(ドゴ)ねも無(ネ)のセ!
(一九三六年五月三十日『ねぷた』より)


写真78 大正期の西茂森町禅林街

 一戸謙三の生家は津軽藩御用達商人一野屋であり、父は七代目、風流人だった。
 相馬も一戸も津軽の土に父祖の魂を感じていた。しかし、一戸は〝あづましい〟でくくり、相馬は″故郷(くに)興るべし″″我等為すべく立ちあがりぬ″と対応が違った。
 相馬の『津軽之頌』は、津軽のナショナリズムの原点を諷誦(ふうじゅ)する。その岩木山は、陸羯南が詠んで津軽人士に膾炙(かいしゃ)している編「名山名士を出だす 此語久しく相伝う 試みに問う 巌城の下 誰人か天下の賢」の心を継承する。
 もっとも、相馬の活動は民芸という美術工芸の分野で花開き、棟方志功を通じて世界につながり、一戸らの活動は苦悩と娯楽と批評性を持つ津軽文学の個性を創成した。そして政治的には五・一五事件二・二六事件東亜連盟活動などで志士的行動に身を投ずる人物を生んだ。