弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編5(近・現代2)

新編弘前市史 通史編5(近・現代2)

第四章 戦前・戦中の弘前

第一節 軍都弘前の展開

一 大火と町村合併

二度の大火で弘前市の街並みは一変した。罹災者の数も膨大となり、彼らは生活の工面に苦労した。しかしながら大火は別の歴史的意義をもたらしている。市当局や市民の間で長年の懸案となっていた花柳(かりゅう)界の問題で、具体的には松森町小料理屋の移転問題に関することだった。
 松森町一帯には小料理屋が集中しており、『弘前新聞』も「附近一帯の善良なる風俗が脅され町内に(ママ)勿論市全体に及ぼす風紀及教育上の支障実害がある」と報じていた。警察当局も営業の禁止か他地域への移転を考慮していた。そこへ富田の大火が起きた。この不可抗力によって警察当局は松森町の小料理屋移転問題を解決しようとしたのである。
 とはいえ居住営業の自由があり、一方的な営業制限は議論を呼ぶことになった。移転にしても移転先からの苦情が予想されよう。そこで警察当局は、各町目抜の大通りに出店することを禁止し、裏通りに営業を許可する方向で問題解決に着手しだした。花柳界に対して市民の多くが批判的な見解を寄せていたとはいえ、その存在を認め、むしろそれを好んで足繁く通っていたのも、同じ弘前市民である。その数は決して少なくはなかった。解決に困難を伴うのは当然だった。
 遊郭は以前から問題視されていたのだが、営業側からの要請や利用する男性側の要望もあり、市民から移転、中止の要望を受けながらも存在し続けた。遊郭の移転と隔離は、その妥協の産物といえよう。しかし移転先、隔離先に指定される地域の立場を考えると、表ならばダメだが裏ならよいという、一種の区別・差別を生み出すことになる。本音と建て前の両立という新たな問題が生じたのである。
 遊郭問題は単に設置場所だけにとどまらなかった。公娼・私娼を問わず、遊郭や貸座敷が存在し、正当化されている以上、性病(当時は花柳病と呼ばれていた)の蔓延が問題となった。昭和三年(一九二八)九月一日付で、花柳病予防法が実施された。弘前市は軍隊所在地ということから、とくに弘前警察署では署長自らが娼妓たち全員に向かって、法の精神と内容を説明し訓戒している。法律自体は、性病を蔓延させた女性は三ヶ月以下の懲役、媒介した営業者は三〇〇万円以下の罰金、六ヶ月以下の懲役に処すとあった。
 多数の男性軍人を抱える弘前市の花柳界が盛況となり、同時に性病の蔓延が深刻になるのは当然の帰結である。当時『弘前新聞』が「東北一安く遊べる弘前の花柳界」と報じたように、弘前市の花柳界は軍隊御用達のような印象が強く、それだけにいっそうのにぎわいを見せていた。遊郭に対する批判や対策がなかったわけではない。しかし警察当局や市民の性病対策は、身売り問題と同様、常に女性側に注意を促すことに終始していた。身売り女性を買う男性や、遊郭を利用する男性への訓戒はまったくなかったことに注意しなければならない。
 大火で話題となった遊郭移転問題貸座敷制度への反対運動は、単に町の浄化問題から叫ばれていたのではない。性病の蔓延など衛生面の視点からも、公娼制度の廃止を主張する声が高まっていた。当時、全国各地でも同様の問題が叫ばれつつあった。弘前市だけでなく、青森県の各地でも公娼を廃止する廃娼運動が盛んに展開された。婦人矯風会など女性運動側からの影響もあった。しかしもっとも深刻だったのは、農村恐慌により身売り女性が激増し、彼女らが私娼となって魔窟の世界に身を落とし、全国的にも問題視されるようになったことである。私娼は満足な衛生対策が施されないだけでなく、人道的にも新たな問題を生み出していたからである。