弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編4(近・現代1)

新編弘前市史 通史編4(近・現代1)

第3章 大正期の弘前

第五節 教育の拡充

一 初等教育

旧弘前藩主伯爵津軽承昭が死去したのは大正五年(一九一六)七月十九日、行年七十六歳である。それに先立って七月十五日、弘前市内各小学校児童職員一同は、中川寛蔵時敏小学校長を代表に選んで、お見舞いの電報を発した。二十日逝去の知らせが入ると、直ちに校長会を開催して、弔意を表する方法を協議し、中川校長を再び代表として弔電を発した。二十一日、市内各小学校では第一時間目に児童一同を講堂に集めて藩公逝去について訓話を行い、教室に承昭公の写真を飾って学級ごとに礼拝した。また、市内小学校代表として、校長会は山中嵯峨之助弘前高等小学校長を選んで藩公葬儀参列に上京させた。二十五日藩公葬式は東京で行われたが、この日弘前各小学校は弔旗を掲げ、弔意を表するため臨時休業とした。また、三年以上の男女児童は報恩寺における遙拝式に参列した。
 旧藩主と市内小学校の結びつきは極めて強固であった。小学校教員に旧藩士族が多かったためか、各校とも旧藩主を敬愛する念が強かった。旧藩主も弘前へ来るたびに小学校長たちを集めて、教育の様子を尋ね、また、全市小学校児童に菓子を与えるのを常とした。各校校長も旧藩主に対して、皇室に対する以上の忠誠と尊敬をこめて言及している。これは、封建的主従関係の延長にすぎないとしても、一種の人間的な交流になっていた。旧藩主小学校の結びつきが、明治以来の本市小学校教育に、独自の気風をもたらしたことは否定できない。弘前が古武士的な教育を強調し、他郡市に見られぬ剛風を持続し得たのは、旧藩主に対する士族教員の忠誠心が作用したと思われる。しかし、この結びつきも、最後の藩主だった承昭の逝去によって急速に薄らいでいくのである。

写真180 津軽承昭公葬儀(大正5年)