弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編4(近・現代1)

新編弘前市史 通史編4(近・現代1)

第3章 大正期の弘前

第一節 大正デモクラシーと弘前市

四 弘前の普選運動

第一回衆議院議員選挙は明治二十三年七月一日に行われたが、小選制、連記法、資格は直接国税一五円以上の男子。青森県の総人口は五四万七〇五五人で有権者は四九七二人、その比率は〇・九%にすぎなかった。そして、選出された議員は、第一回自由党四人(奈須川光宝工藤行幹榊喜洋芽菊池九郎)、第二回自由党三人・改進党一人(工藤卓爾(改進)、工藤行幹榊喜洋芽菊池九郎)、第三回革新党(旧青森県自由党)四人(源晟工藤行幹榊喜洋芽菊池九郎)、第四回革新党四人(源晟白鳥慶一工藤行幹菊池九郎)、第五回進歩党(旧革新党)四人(徳差藤兵衛奈須川光宝工藤行幹菊池九郎)、第六回憲政本党(旧進歩党)四人(奈須川光宝徳差藤兵衛工藤行幹菊池九郎)だった。選挙は、第一が定員二人で東郡・上北・下北・三戸郡、第二は定員一人で北郡と南郡、第三は定員一人で中郡と西郡であった。
 明治三十五年八月の第七回から大正六年四月の第一三回までは大選挙で、青森市と弘前市を独立させ、市部は定員各一人、郡部は定員四として従前から二人増とし、国税資格は一〇円に引き下げた。このため明治三十五年の有権者は、県下総人口六五万二〇四人に対し一万一一八〇人となり、比率は一・七%となった。この後有権者は増加し、大正六年には県下総人口七九万七〇二五人に対し有権者は一万五七九七人、比率は二%となった。
 この間選出された議員は、第七回憲政本党四人、政友会二人(〔政友〕寺井純司田中藤次郎、〔憲本〕工藤行幹加藤宇兵衛徳差藤兵衛菊池九郎)、第八回(明治三十五年十二月)憲政本党三人、政友会三人(〔政友〕寺井純司田中藤次郎淡谷清蔵、〔憲政〕加藤宇兵衛工藤行幹菊池九郎)、第九回(三十七年三月)憲政本党三人、政友会二人、諸派一人(〔諸派〕菊池武徳、〔政友〕寺井純司田中藤次郎、〔憲本〕工藤行幹関春茂菊池九郎、補欠市田兵七)、第一〇回(四十一年五月)憲政本党四人、政友会二人(〔政友〕大坂金助阿部政太郎、〔憲本〕石郷岡文吉小山内鉄弥市田兵七竹内清明)、第一一回(四十五年五月)政友会六人(樋口喜輔菊池武徳工藤善太郎伊東祐一津島源右衛門広沢弁二)、第一二回(大正四年三月)政友会三人、同志会一人、中正会一人、中立一人(〔政友〕野村治三郎高杉金作加藤宇兵衛、〔同志〕菊池良一、〔中正〕菊池武徳、〔中立〕大坂金助)、第一三回(六年四月)政友会五人、憲政会一人(〔政友〕工藤卓爾伊東重鳴海文四郎野村治三郎・阿部武智雄、〔憲政〕菊池良一)である。
 大正九年五月の第一四回及び大正十三年五月の第一五回総選挙は、選挙権は直接国税三円以上となり、選挙は第一青森市、第二弘前市、第三南郡、第四中郡及び西郡、第五東郡及び北郡、第六上北・下北両郡、第七三戸郡となり、各から一人宛の代議士を選出した。当選者は第一四回政友会六人、憲政会一人(〔政友〕北山一郎宇野勇作原田藤次郎・阿部武智雄・野村治三郎梅田潔、〔憲政〕菊池良一)、第一五回政友本党四人、政友会二人、憲政会一人であった(〔政友〕原田藤次郎浦山助太郎、〔政本〕平山為之助工藤十三雄野村治三郎兼田秀雄、〔憲政〕工藤鉄男)。第一五回選挙の投票数は三万八六七〇票で、国税一〇円以上が有権者資格だった大正六年の第一三回総選挙の総投票数一万三九九八票の三倍の選挙人の投票であった。