弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編4(近・現代1)

新編弘前市史 通史編4(近・現代1)

第2章 明治後期の弘前

第五節 教育の発展と充実

三 幼稚園教育

明治四十年(一九〇七)四月、弘前教会宣教師ミス・グリフィスが鍛冶町の民家を借り受けて創設、のち桶屋町に移り、民家を改築して幼稚園とした(現レストラン要敷地)。愛光幼稚園の特徴は地域の労働者の幼児を収容して、保育しようとしたことであった。当時桶屋町、鍛冶町、新鍛冶町一帯には職人が多く住んでいて、それらの家庭は職業柄、幼児の世話に手が回りかねるところが多く、幼児の多くは街頭に放置されるありさまであった。
 愛光幼稚園はそれら幼児を収容して保育に当たろうとしたもので、いわば社会奉仕の念に燃えて設立された幼稚園であった。しかし、当時の労働者家庭は教育に対する意識が低く、幼児を幼稚園に入園させようとする家庭はなく、この計画は失敗に終わった。そこで、方針を変えて一般家庭の幼児を収容した。愛光幼稚園の定員は六〇人、三年保育を行い、保育には外国人婦人宣教師が当たった。
 失敗に帰したとはいえ、愛光幼稚園が低所得者層の幼児を保育しようとした進歩性は、弘前市の幼稚園教育上特筆されるべきだろう。なお、愛光幼稚園は昭和二十六年(一九五一)に若葉幼稚園と合併した。