弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編4(近・現代1)

新編弘前市史 通史編4(近・現代1)

第2章 明治後期の弘前

第五節 教育の発展と充実

三 幼稚園教育

弘前女学校内の教室で保育を続けていた同校付属幼稚園は、明治三十九年(一九〇六)、北瓦ヶ町(現中央通りと萱町が交差する土地)に敷地を購入、園舎を新築してこれを若葉幼稚園と命名した。独立園舎の設置は弘前女学校関係者の宿願でもあった。学校が幼児教育の場を本国に要請していたころ、命を受けて弘前に着任した宣教師アレキサンダーの夫人は、自らにも四歳になる息子がいたために、独自に本国へその必要性を訴える手紙を書くなど、幼児教育に深い関心を抱(いだ)き、幼稚園が開設してからは惜しみない協力を捧げてきていたが、このアレキサンダー夫人が、三十一年一月、居宅としていた宣教師館の火事で焼死するという出来事が起こった。
 この惨事は、関係者のみならず、弘前市民、また、国内外に大きな衝撃を与え、そこに寄せられた弔慰金六〇〇円を夫のアレキサンダー師が、夫人が生前もっとも気にかけていた園舎の建築費用に充ててほしいと献納した。園舎建設にはこれだけでは足りなかったが、弘前女学校ではその遺志を尊重し、夫人を記念する事業としてミッション本部と掛け合い、七年余の年月を経て建設にこぎつけたのである。若葉幼稚園は三十九年六月十四日に開園発足し、文部省の設置基準も満たして、ここにおいて弘前市には公私立合わせて二幼稚園を数えるに至った。また、当園は二年保育を主体としたが、後に四年保育も行い、幼児教育に新たな道を拓(ひら)いた。