弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編4(近・現代1)

新編弘前市史 通史編4(近・現代1)

第1章 明治前期の弘前

第四節 文明開化と東奥義塾

四 学制の実施

学制実施の教育の中で、特に重視されたのは女子教育の振興であった。しかし、封建性の強い本県では遅々として進まなかった。「女子に学問は必要ない」という観念が、一朝一夕で払拭されなかったのである。弘前でも女子の就学率は極めて低く、明治七年九月白銀小学が女子部を設けたときでも、女子教育に熱心な同校教員秋元九郎次が、戸別に女子教育の必要を説いて回り、ようやく十五、六人の入学をみたのである。
 比較的女子教育に理解のあった士族階級ですら、公立小学に女子を入学させることを拒否したが、これは公立小学における男女混学を嫌ったからであった。つまり「男女七歳にして席を同じうせず」の儒教的観念から、女子を就学させなかったのである。そこで考えられたのは、女子のみを収容する小学の設置である。明治八年八月に開校した含英女小学がそれである。校名の「含英」とは花のつぼみを意味するというが、いかにも女子小学に適した名称である。校舎は元寺町森岡氏邸宅(旧藩家老の家柄、現大通りの土地)に設けられたが、同邸はほどなく警察署分署となったので、含英女小学は警察署構内を借用することになった。女子小学と警察署の取り合わせがおもしろい。同校設置によって、八年に弘前は小学が五校となった。

写真55 明治初期の含英女小学(元寺町)

表16 弘前各小学(明治八年)
名 称地 名設立年新築
旧屋
公有
借用
教 員生 徒
白銀小学陸奥国津軽郡白銀町明治六年旧官舎公有一〇三三五
和徳小学同     和徳町旧倉廩一五八
亀甲小学同     亀甲町借用三二六
白銀女小学同     白銀町同 八年旧官舎公有二一〇
含英女小学同     元寺町旧官舎借用九六
明治八年『文部省年報』による
(注)白銀女小学とは、白銀小学女子生徒で、同一校舎内に女子のみの教室を設け、明治八年「白銀女小学」と称した