弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編3(近世2)

新編弘前市史 通史編3(近世2)

第7章 藩政期の人々の生活

第二節 村の生活

二 日常生活

(三)日常生活の諸相

災害水害風・雪害地震、噴火などの天災によるものと、火災のような主として人の不注意による人災とに分けられる。特に集落内で火災が発生すると、消防力が弱いため、風がある時にはすぐ付近に延焼し大火となる場合が多かった。火災に対しては、延宝九年(一六八一)の「農民法度」(「御定法古格」弘図津)第六三条に火の心と消火についての規定、第六四条に放火犯に対する厳罰の規定がみえている。二〇軒以上焼失した大火は幕末まで多数みえるが、農村では一月~四月、すなわち冬から春にかけて圧倒的に多く発生している(『津軽史事典』一九九七年 名著出版刊)。
 火災の頻発のうちでも特に著しかったのは、享保二十年(一七三五)であった。同年三月十八日の関(せき)村(現西津軽郡深浦町)二七軒焼失、同二十七日木作(きづくり)・上(かみ)木作村(現西津軽郡木造村)九六軒、同二十八日舞戸(まいと)村・田浦(たうら)村(両村ともに現西津軽郡鰺ヶ沢町)九七軒、四月十四日深浦町(現西津軽郡深浦町)四五~六軒の焼失があった(前掲『津軽史事典』)。これらの火災発生の経験を踏まえて、享保二十年八月には、火の心の徹底を命じられている(「国日記」享保二十年八月十三日条)。
 享保二十年以後の火災の状況と火の心に関する触書については表34に示したので参照されたい。触書類は火災の頻発と大火の発生に対して、火災を未然に防ごうとする法令であった。
表34.享保20年以降の津軽領内における大火
国日記内  容備   考
元文2年3月17日条火の心の徹底元文元年3月18日~19日 小泊村89軒焼失。
  〃 3月24日 岩崎村59軒焼失。
元文元年は豊作。
寛延3年3月3日条火の心の徹底去年の凶作のため青森物騒で投火度々。
寛政8年7月7日条銜(くわえ)煙管の禁止寛政8年3月16日 関村20軒焼失。
寛政7・8両年は凶作
文政6年3月29日条銜煙管の禁止文政6年2月26日 油川村明誓寺・代官役所・在家24軒焼失。
  〃 2月28日 滝沢村18軒焼失。
  〃 3月2日 田浦村33軒焼失。
※文政5年の作柄は不明。
文政10年3月21日条銜煙管の禁止文政9年は豊作。
天保4年4月7日条火の心の徹底天保4年3月18日 鰺ヶ沢七ッ石町26軒焼失・柳久保村28軒焼失。
天保3年は凶作(半作とも)。
天保5年4月16日条火の心の徹底天保5年2月17日 鰺ヶ沢町185軒焼失。
天保4年は大凶作
天保7年4月12日条火の心の徹底天保6年は半作又は3分3厘作。
天保10年2月8日条火の心の徹底天保10年2月1日 脇元村30軒焼失。
  〃 2月5日 大鰐村50軒焼失。
天保9年は大凶作
嘉永7年4月12日条火の心の徹底嘉永7年3月2日 広船村11軒,小屋土蔵とも41軒焼失。
嘉永6年は豊作。
安政5年4月1日条火の心の徹底安政5年2月26日 石川村25軒焼失。
  〃 3月20日 藻川村11軒焼失。
安政4年は劣作。
注)津軽史事典』(6)豊凶・米価,(8)災害の項による。