弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編3(近世2)

新編弘前市史 通史編3(近世2)

第7章 藩政期の人々の生活

第一節 武家の生活

三 藩士の衣食住

(三)住居

藩士の役(禄)高による家屋の新築基準が、「御用格」寛政十年(一七九八)七月二十九日条に次のように示されている(資料近世2No.二一四)。
   一、此末新家作之分、建坪御定左之通、
  母屋五拾坪弐百石
   同四拾坪百五拾石
   同三拾坪百石
   同弐拾五坪五拾石
   同弐拾坪右以下一統(下略)

 宝暦六年(一七五六)の「御家中屋鋪建家図」(弘図津)から作成した表「諸士屋敷建家坪数の内訳」(佐藤巧『近世武士住宅』一九七九年 叢文社刊)によれば、城下に住む藩士の総屋敷数一〇六九軒(総屋敷一一八九軒より不明・明屋敷など一二〇軒を除く)のうち、建家坪数七一坪以上が九一軒で上級藩士と思われるのに対し、三一坪~五〇坪が三一二軒で、年代が少し後になり同一基準で比較はできないが、寛政十年の「建坪御定」にみえる一〇〇石~二〇〇石取の者に該当する。五一坪~七〇坪の一二六軒を加えた四三八軒がおおむね中級藩士で、三〇坪以下の合計五四〇軒が下級藩士であろう。
 「御家中屋鋪建家図」の中から上・中・下級藩士の住宅平面図を一例ずつあげると左のようになる(資料近世2No.二一五)。
 ○間宮市三郎宅
 建坪一五〇坪半という大きなものである。東側の表口から入ると、左側に「達部屋」が建っており、「玄関」から「広間」「使者間」「廊下」「座敷」「畳縁」などが来客のための空間とみなすことができよう。
 「土間」「台所」「料理間」から「居間」「茶ノ間」「部屋」「物置」など、奥の部分が広く取られている。

図96.間宮市三郎宅平面図

 ○高杉形左衛門宅
 建坪が三六坪二歩五厘というもので、当時の家宅としては小さい方である。「玄関」「広間」「座敷」だけが接客部分としてみることができ、奥部分も「常居(じょい)」「台所」「春ニワ」に「部屋」「水屋」のみである。

図97.高杉形左衛門宅平面図

 ○堀口安兵衛宅
 建坪が一八坪と記される小さなものであるが、外に「道場」として三七坪がある。「槍稽古所」と「太稽古処」である。東の表口から入って「沓(くつ)ヌキ(脱ぎ)」「式タイ(台)」から右側が「槍稽古所」で正面が「休息処」と「太稽古処」である。
 門から左手が「居間」と「台所」となっているが、家族の居所が描かれていない。裏に「井戸」と「便所」が取られている。

図98.堀口安兵衛宅平面図

 現存する藩士の住宅には旧岩田家住宅(県重宝)がある(現市内若党町(わかどうちょう))。建坪は約三四坪である。この家は寛政十年(一七九八)~文化三年(一八〇六)の間に、若党町のこの地に建てられたものと推定され、それ以後はほとんど変わっていないことが判明しており、規模からいえば中~下級藩士の家屋ということになろう。このほかに若党町には、旧梅田家住宅旧伊東家住宅が、近年保存のために移築されている。

図99.旧岩田家住宅