弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編3(近世2)

新編弘前市史 通史編3(近世2)

第5章 弘前城下と都市住民

第一節 城下の構造

一 町方の構成

弘前城下における町人家業についてわかる最も古い史料は、先に引した元禄年間(一六八八~一七〇三)の「松井四郎兵衛留書」(資料近世1No.一一五〇)である。これによれば、元禄三年(一六九〇)ころ城下酒屋(酒造業)を営む者は、本町支配で一二人、土手町支配で二二人、和徳町支配で一二人、茂森町支配で八人、亀甲町支配で一〇人、東長町支配で一五人、新町支配で一四人、紺屋町支配で一〇人、親方町支配で三人、下鍛冶町で一人、計一〇八軒(実数は一〇七)とあり、すこぶる多い。質屋は本町で五人、亀甲町で五人、茂森町で三人、土手町で二人、新町で四人、駒越町で一人、東長町で三人、紺屋町で二人、和徳町で四人で計二九人である。この内、酒造業と兼業の者は一二人と四一・三パーセントを占め、富裕な商人が酒造業と質屋を兼業していたといえる。このほか、魚荷売が七人、研屋(とぎや)が一〇人、金具屋が五人、塗師(ぬし)屋が一〇人、畳刺が一三人いた。研屋の五人は鞘師(さやし)も兼業している。また、塗師屋の中に津軽塗の祖といわれる池田源兵衛の名前がみえるのは注目される。
 また、医者が本町に九人、下鍛冶町に三人、親方町に一一人、和徳町に一人、土手町に七人、新町に五人、東長町に一〇人、亀甲町に二人、紺屋町に四人、茂森町に三人で計五七人(実数は五五人)となっている。診察科目の分類をすると、本道(内科医)が三五人、外科が九人、目医が二人、針医が八人、小児科医が一人であった。この内、本町の針医の一人は盲人であった。家業といえるのかどうか疑問があるが、町年寄物書が三人、人馬御払役が三人などがみえる。ただし、染物屋は項目だけあって記載がない。
 一方、元禄七年(一六九四)の「切支丹改」には、質屋が三一人、魚売が本役・半役・直新役・新役・三ヶ一(いずれも営業税である役銭を納める者)を合わせて三二七人、大工・木挽(こびき)が一九九人、酒屋一〇七軒、本室屋一五七軒、新室七軒、質座(質屋)三二軒、豆腐屋三八軒の記載があり、家業の種類が少し多く記載されている。
 江戸時代後期に入ると、弘前城下の諸職・家業はかなり詳しくわかるようになる。これは八代藩主信明時代の寛政三年(一七九一)四月に人別調役が初めて任命され、人別・戸数は綿密に調査をするようになり、在方は持ち抱えの田畑そのほかも書き出させ、郷士(ごうし)は戸ごとに面改(つらあらた)めを実施する等、領内の人別改めの仕方が改正されたからである(『記類』)。その結果は九代藩主寧親時代の同六年十一月に四八箱・一三一〇余冊という莫大な成果として結実している(同前)。この後の成果である寛政八年(一七九六)の「弘前町中諸職・諸家業軒数調牒」(資料近世2No.一九五)によれば、表1のように分類される。御役職人(藩に営業税を納める職人)は二八職種に分類され、この内、研屋・鞘師塗師・経師(きょうじ)・筆師・紙漉・金具師に藩の御を勤める者がいた。御役家業は三〇職種に分類され、この内、銚子屋・菓子屋・索麪(そうめん)(素麺)屋・豆腐屋・蝋燭(ろうそく)屋・染屋・仕裁屋・舛(ます)屋・鋳物師(いもじ)・鳥屋には藩の御を勤める者がいた。菓子屋は現在も本町で営業をしている大阪屋のことであろう。このほかは、無役家業になり、一一五職種に分類される。この内、釘屋に御釘屋がいたことは注目される。釘を造る原料鉄を藩から供給されていたためであろうか。藩内にある鉄山小国鉄山(現東津軽郡蟹田町)、今泉鉄山(現北津軽郡中里町)、石川鉄山(現弘前市)が知られている。なお、今泉鉄山について付言すると、後述する文久三年(一八六三)の「桶屋町人別帳」にみえる日雇一家五人は、前年の九月に同鉄山で働いていたが、このたび同所を引き揚げてきたという記載があり、幕末期においても今泉鉄山では生産が行われていたことがわかる。

図1.さまざまな家業

表1.弘前町中の諸職・家業軒数調べ
種別職 種軒数備 考



鑓屋1
研屋5内 御研屋3軒
鞘師9内 御鞘師2軒
塗師14内 御塗師4軒
経師5内 御経師1軒
大工115
木履大工6
木挽58
鍛冶45
屋根葺26
畳刺8
左官14
石切8
乗物師2
洗張師1
筆師2内 御筆師1軒
篩嚢師2
小細工師2
瓦師2
土細工師1
1
蝋燭掛5
紙漉15内 御紙漉1軒
鏡磨・鍋鋳懸・薬鑵直8
𨫤張3
葛籠細工2
籠組2
金具師8内 御用金具師3軒



酒屋45内 御銚子屋1軒
質屋9
菓子屋21内 御菓子屋1軒
室屋22
蕎麦切屋27
醤油屋9
造酢屋4
素麺屋3内 御素麺屋1軒
豆腐屋41内 御豆腐屋1軒
小売酒屋13
絞油屋27
蝋燭屋16内 御蝋燭屋1軒
染屋45内 御染屋1軒
仕裁屋6内 御仕裁屋1軒
足袋屋2
鍋屋4
桶屋47
舛屋2内 御1軒
差物屋2
檜物師9
合羽屋2
鋳物師5内 御鋳物師1軒
傘張4
提灯張8
魚売24
魚触売29
塩并干肴店15
附木屋16
塩噌触売13
鳥取1
鳥屋1但,御



116種1903
注)資料近世2No.195より作成。

 幕末期の元治元年(一八六四)八月の「弘前町中人別戸数諸工諸家業総括牒」(資料近世2No.一九六)では、当時の町方諸工・諸家業は表2のように分類される。御役職人は一九職種に減り、藩の御を勤めるのは、研屋・鞘師塗師・金具師の四種は寛政期と変わらないが、鋳物師・挑灯(ちょうちん)(提灯)張・檜物師の三種が新たに加わっている。この三職種は寛政期には御役家業として分類されていたものである。一方、御役家業は三〇職種に分類され、数は寛政期と変わらないが、山漆実買請(かいうけ)所・𨫤張(きせるはり)・附木(つけぎ)屋・石灰焼・花粉灰が新しく加わっている。なくなったものは差物屋・鳥取・鳥屋である。山漆実買請所は寛政期には無役家業であったが、漆木の増産計画によって扱いが変わったためであろう。無役家業は一四五職種に分類される。寛政期に比べると大幅な増加であるが(二六・一パーセント増)、これは職種の細分化や新たな職種の誕生によるものであろう。
表2.元治元年当時の町方諸工・諸家業
区  分軒数備 考

医者53内本道13軒
 鍼医40軒
船取扱2
御廻船調取扱1
御馬飼料方取扱1
町年寄2
時計師1但,御
御役者支配7
御用達町人4
鍛冶頭1
鞍鐙師1
御刀鍛冶3
御鎗師2
御弓師2
御鉄炮師4
御具足師3
鋳筒鉄炮師3
御具足鍛冶6
御鞢師1
御鉄炮台師2
御轡師3
火縄綯1
畳屋頭1
切付師2但,御
矢師3但,御
蝋燭懸1
蝋絞1
御国産鉄取扱1
彫刻師2
御前穀物請負・同搗屋1
御買上品取扱1
御座頭2
米金仲買頭1
座頭頭2
御大工11
日市頭2
日市物書2
日雇頭6
御蔵拼頭8
新屋敷賄方取扱1
大作人1
駅場役5
町年寄物書3
町年寄小使3
医学館御製薬持廻小使1
御雇鳶8
御雇小人4
馬喰頭1
馬喰締方1
時鐘撞5
修験5
牢屋番13
牢医者1
按摩取1
灸治2
売卜2
浪人3




研師11内 御3軒
鞘師4内 御1軒
塗師11内 御3軒
経師3
左官7
大工67
木挽62
木履大工2
屋祢葺17内 小頭1軒
唐箕大工3
石切11内 小頭1軒
金具師15内 御4軒
畳剌15
差物師12
鋳物師5内 御3軒
銅師4
傘張4
提灯張14内 御1軒
檜物師18内 御1軒



酒屋31内 御銚子屋1軒
  休2軒
質座13内 休1軒
菓子屋43内 御1軒
室屋29内 御1軒
蕎麦切屋31内 休1軒
小売酒18
絞油屋38内 御1軒
醤油屋13内 御1軒
造酢屋5
麪類屋6内 御3軒
豆腐屋51内 御1軒
鍛冶屋95内 御4軒
蝋燭屋40内 御1軒
  休1軒
山漆実買請所1
染屋56内 御3軒
  休2軒
仕裁屋5内 御4軒
鍋屋5内 御2軒
升屋2但,御
合羽屋4但,御
𨫤張30
魚売124内 御2軒
  休1軒
魚触売48内 休2軒
桶屋64内 御2軒
  休1軒
附木屋13
塩触売29
塩卸売1
塩小売3
石灰焼2
花粉灰2
足袋屋1但,御



145種4009






御役職工73
御役家業10
無役家業10
注)弘前町中人別戸数諸工諸家業総括牒」(資料近世2No.196)より作成。

 ここで注目したいのは、「外(ほか)に隠(かくし)諸工・諸家業之部」に御役諸工が七三、御役家業が一〇、無役家業が一〇、新たに記載されていることである。この部の説明によると、去年の亥年つまり文久三年(一八六三)に戸数・人別を調べた結果、申し出た者がいてこのように書き出されたことが判明する。まだ調査中のようであり、実態は不明であるが、御役諸工御役家業が大半を占めるところをみると、綿密に調査をすることは、藩にとって人口の把握のみならず、漏れていた御役諸工御役家業からも税の徴収が可能となり、税収の増加につながる問題であったことは確かである。なぜこのように綿密に調査をするようになったのかは、「国日記」文久三年六月から七月の条にかけて記述されているように(同前No.一三九)、一人ひとり面改めをして領民の諸家業・家内人数などを詳しく調査するようにしたからである。