弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編2(近世1)

新編弘前市史 通史編2(近世1)

第4章 幕藩体制の動揺と民衆

第三節 蝦夷地警備と化政期の藩政

五 司法制度の整備と変遷

(一)司法制度

当藩では、藩士に対する刑罰は、数は少ないが「安永律」・「寛政律」・「文化律」・「文化律」((二)刑罰法参照)の規定が適用された場合があり、犯罪の審議過程では、幕府法、中国法の「律(みんりつ)」・「清律(しんりつ)」をも参考にしていた。実際には、さまざまな犯罪に対する藩士のみを対象とする刑罰法が存在しないため、先例・慣習にもとづく刑罰の申し渡しが中心であった。
 ○取り調べ――武士に対する刑事裁判には、容疑者を召喚して直接尋問し、判決を下す普通の手続きのほかに、召喚・尋問(呼出吟味)を行うことなしに、直ちに判決を申し渡すことがあった。これは略式なのではなく、むしろ容疑者の廉恥・名誉を重んじた方法であって、大名・旗本など侍以上の上級武士に適用された。津軽弘前藩では下級藩士牢屋および揚屋に収容されて取り調べが行われた。家老用人大目付勘定奉行など上級藩士に対する取り調べの詳細は不であるが、「国日記」によれば、預り(親戚や他家へ)や慎(つつしみ)を命じられた場合が多い。
 ○申し渡し人申し渡し場所――これについては、「国日記」によって次のようなおおよその傾向が知られる(表58)。

 ①は上級藩士に対するものである。②と③の申し渡し人の違いは、①の次にランクされる御目見(おめみえ)以上の藩士と、それ以下の藩士の身分の差によるものである。④~⑧までは、④のみが馬廻による取上御仕置場での申し渡しで、そのほかは徒目付による。馬廻と徒目付の区別は容疑者の階層差に求められない。⑨~⑮までは、弘前城下で起った事件は町奉行宅や町年寄宅での申し渡しもみられるが、弘前から距離的に遠い地域では、裁判事務の処理を早めるために、管轄地域の役所や役人宅で、それぞれ上位の担当役所の指示を受けて申し渡している。
 ○正犯と従犯――犯罪は、単独犯だけでない。二人以上は正犯(せいはん)と従犯(じゅうはん)、共同正犯というような関係が生じ、僧侶・神官や百姓町人などとの結びつきでも行われた。刑罰の申し渡しに際しては、身分・階層により申し渡し人申し渡し場所が異なる場合がある。「国日記」にみえる判例を整理すると左のようになる。
 ①藩士百姓または町人が正犯・従犯の場合
 ②藩士百姓または町人が共同正犯の場合
 ③藩士と僧侶または神官が正犯・従犯の場合
 ①②は僧侶・神官が関係せず、藩士百姓町人のいわゆる俗人によるものである。藩士が御目見以上では、百姓または町人への申し渡し人申し渡し場所らかに異なり、藩士が御目見以下では申し渡し人申し渡し場所が同じである。したがって、い役職の藩士と低い役職の藩士とでは、刑事裁判手続が区別されていた。③の場合は、僧侶は寺社奉行―すなわち異なる機関で処理された(藩士と僧侶・神官との共同正犯の場合も同じと考えられる)。
 ○藩士の私的刑罰権――「国日記」のほか『御用格』(寛政本)「御用格」(弘図津)にみえる判例によって、藩士の私的刑罰権は幕府法に準拠して認められていた。
 ○縁坐法恩赦――「国日記」・『御用格』によれば、親または子供の処罰に対して近親者が遠慮伺を提出し、そのまま認められている場合が多い。また幕府と異なり、その適用は御目見以上の藩士とはかぎらず、家老から足軽級までかなりの幅があった。さらに妻子への適用がみられ、子供の処罰が親への縁坐という場合もあったのである。
 恩赦(大赦と同意)は幕府に準じたものであるが、藩士のほか百姓町人などにも適用されている。入牢者(ほとんど未決の者)に対する恩赦と追放による弘前の御(おかまい)(立入り禁止)の者など既決の者に対する恩赦があった。そのほか御祝儀の御赦とは藩主家督相続・初入国などの理由によるもので、「国日記」の記録も少ない。御法事の御赦とは、「国日記」によれば藩主・正室(せいしつ)などの年忌法要による場合が圧倒的に多くみられる。