弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編2(近世1)

新編弘前市史 通史編2(近世1)

第3章 幕藩体制の確立

第二節 土地制度の確立と前期農政の展開

二 寛文~天和検地と本百姓体制の確立

前期の農政における本百姓は、「抱地(かかえち)」と呼ばれる土地保有と、夫役(ぶやく)(人身的労役の総称)負担をする「御蔵(おくら)百姓」を意味している(以下は、浪川前掲「前期農政の基調と展開」による)。この、蔵入地(藩の直轄地)の百姓である御蔵百姓年貢以外の夫役諸役は、寛文五年(一六六五)十一月十一日の「御蔵百姓諸役定」にまとめられており(「御定書」五〇 国史津)、
夫役は「春山作」「夏山作」が基本となるが、城内の掃除や普請にも徴発される。

諸役は、雑税小物成に類する野手・犾米(えぞごめ)・麻・油・真綿役、付加税・掛物(たかがかりもの)に歩米・筵役がある。さらに、この時期の特色として、正月入用・五月入用・台所入用といった、家政に結びつくようなものが課せられている。

③賦課方式は、夫役を中心に軒掛(のきがかり)制がとられており、掛は付加税の性格を持つものに限られている。収取形態は、現物納を原則としているが、夫役・小物成は代銀納制を併用していた。家政に結びつくようなものは、現物納であった。

といった特色を持っている。②のうち、大名の家政に結びつくようなものは、寛文以前には、現物納の傾向が一層強かった(同前五一)。また、村役人の特権として、肝煎(きもいり)には知行が与えられ、真綿・野手役が免除された(同前五二・五三)。
 諸役収取の実態は、油役・麻役は畑年貢に加えて荏胡麻(えごま)・苧麻(ちょま)を上納するもので、また、真綿役は、自分たちで養蚕を行っていなかったこともあり、自給品ではなかったので(資料近世1No.八四五)、その上納は重い負担となったようである。これら三品は、購入して上納することになっていたようであり、御蔵百姓にとっては重い負担となっていた(同前)。さらに、「春山作」「夏山作」の夫役徴収は、その負担が御蔵百姓一律ではなく、上中下に分化したものであった(「御定書」四五・四六)。
 御蔵百姓は、夫役と現物形態を主とする諸役を負担することで、前期農政における最も基本的な農民、「本百姓」として位置づけられた。
 次に、給地(きゅうち)百姓であるが、彼らは、村ごとの街道・橋の普請など村落共同の生産・生活に関するものについては、御蔵百姓と同じように役負担が命じられている。しかし、軍事訓練とでもいうべき追鳥狩(おいとりがり)のときには、給人(知行地を与えられた武士)も動員されるため、給地百姓給人使役され、藩による夫役徴発の対象にはなっていない。また、給人による仕置権は、給人による年貢の収取が蔵入地に準じて行われていた可能性がある。