弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(古代・中世)

新編弘前市史 通史編1(古代・中世)

第4章 中世前期

第二節 鎌倉幕府の東夷成敗権と得宗領津軽

六 境界の地津軽と「東夷成敗」権、そして安藤氏

一方、『安藤系図』(史料一一五二)はその伝来過程、作成年代とも明らかではない。そこでは、奥州安倍氏の祖を中央豪族である大和の阿倍氏とし、まずその阿倍氏の比較的詳しい系譜をつづる。
藤崎系図』でも大和の阿倍氏とのかかわりはみられるが、これほど明確ではない。阿倍氏との結びつけは、あるいは津軽と深くかかわる比羅夫北征説話を意識してのものであろうか。
 また阿倍氏との関連で、やはり孝元天皇-大彦命という系譜が導入される。すでに述べたように、阿倍比羅夫の家は大彦命の子孫とされている。このことは『新撰姓氏録』左京皇別上にも見えている。この書き方の方が『藤崎系図』よりは素直ということになる。また陰陽博士安倍氏の系譜や阿倍仲麻呂などをも取り込んでいる点も興味深いところである。
 この系図には、著名な高星は登場せず、貞任の弟白鳥八郎行任の子則任(実は貞任の子という)、その子和任(藤原惟平養子)を経て、次の季任が、安倍と養父藤原の姓を合して、「出羽奥州」の安藤氏の元祖となり、安藤太郎を称したとされている。
なお安藤氏関係の系図のなかでは、この系図にのみ、先に触れた阿津賀志山合戦の功労者「安藤次」の名(季信 津軽守護人)がみえ、また後述する鎌倉末期の、幕府滅亡ともかかわる有名な安藤の乱(津軽大乱)の立役者安藤又太郎季長の名が惣領名としてみえることから、学界では鎌倉時代の安藤氏の世系をある程度正しく伝えるものとして重視する見解もあるが、それらは『吾妻鏡』など比較的入手しやすい史料に見える記述であるから、そこにどれほどの独自性を認めるべきかについては、なお慎重な取扱いを要するであろう。
 むしろ阿倍比羅夫をはじめとする阿倍氏の系譜が明確に取り込まれている点が、『下国伊駒安陪姓之家譜』との関連で注目される。
 またやはりこの系図のみにみえる「惟平」なる人物も、他の同時代史料からすると、奥州平泉の藤原清衡の長男で、弟基衡と争ったという「惟衡」に比定できる可能性があり、実在の可能性が高いことから、今後注目すべき史料となろう。