弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(古代・中世)

新編弘前市史 通史編1(古代・中世)

第4章 中世前期

第二節 鎌倉幕府の東夷成敗権と得宗領津軽

五 御内人の世界

次に、曽我氏の姻戚から伝領された所領について見てみよう。惟重夫人伊豆田所女房から伝領したのが、伊豆国安富郷国吉名内田所免田である(岩手大学新渡戸文書・弘安七年〈一二八四〉)。しかしその伝領について弘安七年頃から「支申仁」がおり、相論になっていた。正応三年(一二九〇)七月、幕府引付頭人は「宮内卿殿局」に対して「可下令二明申一給上」と執達しており(斎藤文書、遠野南部家文書)、嘉元二年(一三〇四)の泰光の譲状でも「くないきやうのとのゝつほね、あうりやう(押領)せらる」と見えるので(斎藤文書、遠野南部家文書)、相論の相手は「宮内卿殿局」であることは確かで、かなり長い相論であったらしい。
 この「宮内卿殿局」がだれであるかは確認できないが、当時の宮内卿は弘安八年九月までは藤原経業(つねなり)、経業が大蔵卿に転じて以後、以後正応三年九月までは高階重経(たかしなしげつね)である(『公卿補任』)。