弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(古代・中世)

新編弘前市史 通史編1(古代・中世)

第4章 中世前期

第二節 鎌倉幕府の東夷成敗権と得宗領津軽

二 奥州惣奉行と津軽惣地頭

こうして平泉藤原氏の滅亡後の体制整備が進むなか、本州の最北辺にして海運上の要衝でもある津軽地方の鼻和・平賀・田舎三郡(津軽地方の中世の郡制については、次項で詳述する)には、奥州合戦で北陸道の将として出羽鎮定に功績のあった宇佐美(大見)平次実政を、その惣地頭として派遣した。宇佐美氏は、伊豆国田方(たがた)郡宇佐見を苗字の地とする御家人である。
 奥州合戦直後の東北地方では、こうした複数の郡・荘・保を統合した大ブロックを管轄する惣地頭が各地で任命されていった。前掲の葛西清重もそうであるが、他にも千葉常胤が行方郡以下五郡荘、三浦義澄が会津郡以下四郡三荘、小山政光が三荘、大江広元が六荘といった具合である。そもそも頼朝は、こうした奥羽の支配形態を全国に推し進めるために奥州合戦を起こしたのだとさえいわれている。
 なおこの実政については、平賀郡大光寺あたりにあって、「津軽奉行」の任にあったともいわれているが、この説には史料的に確たる根拠があるわけではない。