弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(古代・中世)

新編弘前市史 通史編1(古代・中世)

第4章 中世前期

第一節 中世的北方世界の開幕

二 奥州藤原氏の登場と北方世界

なお津軽半島部は、陸奥湾側が外浜(そとのはま)、日本海側が西浜(にしのはま)というように、「郡」ではなく「浜」に編成されている。東北地方では他にも「小鹿島」(秋田県男鹿)・「遠島」(宮城県牡鹿)のように「島」に編成されたところもある。いずれも海と密接な関係をもつ特殊な地域である。
 こうした「浜」とか「島」という特殊な行政区画が設けられたのは、そこを普通に「郡」には編成できない何らかの要素が存在したからだと思われる。この地域は、山の民・川の民・海の民が広く存在する地域であって、普通の日本社会とは異なり、農業というよりは非農業的な生活の色彩が濃い、たとえば交易などに依存する度合いが強い社会を形成していたのであろう。また津軽半島地域の場合には、日本の東の境界と目されていた特殊な地域であったことも関係していよう。このあたりは北海道と近接していてアイヌとも深い関わりのある地域であったことをも念頭におく必要がある。
 さてこうした建郡を契機に、北奥地域の緊張した社会情勢を示すといわれている防御性集落がこのころ姿を消している。建郡によって中央の政治力が北奥に及んだことに伴って社会が安定し、高地に堀をめぐらした防御性集落の必要性がなくなったからであろう。