弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(古代・中世)

新編弘前市史 通史編1(古代・中世)

第3章 古代蝦夷の時代

第四節 考古学からみた平安時代の津軽

四 擦文文化との交流

北海道地方を主要な文化圏とする擦文文化の指標である擦文土器の分布は、北は南サハリン、そして南は青森県を中心とし、七世紀代と推定される初現期の擦文土器については、岩手県および宮城県の北上川流域までその分布が及んでいる(図27)。一〇~一一世紀代と推定される盛期の擦文土器の分布は、本県においては県西側の陸奥湾沿岸地域、岩木川流域を中心としており、県東側は下北半島に限られ、初現期の擦文土器がみられた岩手県、宮城県には及んでいない。擦文土器を出土する遺跡は現在のところ一〇〇遺跡を超える。巨視的にみると、北海道地方では初期には石狩低地帯を中心に横走沈線文を主要モチーフとする深鉢と坏が、盛期には道西北部および道東部を中心に深鉢と高坏が、そして終末期の道西南部では深鉢と台付坏がそれぞれセットをなすという特徴が認められるのに対して、本県では深鉢(甕)のみで、土師器・須恵器が伴う。本県の擦文土器深鉢に施された文様をみると、横走平行沈線文以外では鋸歯状文が主要なモチーフとなっており、おおむね北海道地方にみられる文様要素がそろっているとみてよいが、大半は在地で製作されたものであり、青森市近野(ちかの)遺跡第六〇号住居跡や木造町石上神社遺跡出土の小型土器のように、器形や土器のつくりから判断して土師器に刻文が施されたという印象を受けるものも多く認められる。

図27 初現期~盛期の擦文土器

 先にも触れたように、原エミシ文化の時代に東北地方北部や石狩低地帯を中心とする地域における続縄文・土師器混交文化の担い手たちによって母体が形成された擦文文化は、続縄文文化土師器文化の両者の特徴を併せもって北海道地方を中心に展開した独自の文化である。顕在的な物質文化の面では、日常容器としての土師器を指標とする農耕文化の生活様式を大幅に採り入れているが、続縄文以来の伝統的文様を土器に描き出すことで独自性を示し、狩猟・漁撈(ぎょろう)・食用植物などの採取といった採集経済を基盤としながら、アワ・ソバ・ヒエ・キビなどの雑穀類を主とする農耕を営むという特徴をもっている。
 そして、擦文文化の担い手たちが採集経済に固執したのは、気候条件に規制されるという必然性はあったものの、極めて戦略的な選択でもあったと思われる。つまり本質的には、原エミシ文化の時代以来の混交文化を基盤として交易を維持、発展させた文化であったといえるであろう。
 東北地方北部における北方的文化要素は、六世紀代と推定される北大Ⅱ式の時期、および九世紀代の擦文土器の時期に希薄な分布状況を呈しており、顕在化と潜在化を繰り返している。この問題については、周辺地域に展開した諸文化との関係も十分考慮に入れる必要があるのかもしれないが、基本的には擦文文化の指標のひとつである擦文土器に施された刻文の系譜は北海道地方を中心とする北方系の土器に求められる。また、採集活動そのものを交易活動の一環として考えると、決して断続的ではありえないのである。