弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(自然・原始)

新編弘前市史 通史編1(自然・原始)

第2章 津軽の原始時代

第四節 弥生時代

一 遠賀川系土器の伝来

約一万年の長きにわたって続いた縄文時代も、今を去る約二三〇〇年前のころになり、南から伝播して来た新しい弥生文化が徐々に浸透し、やがてその文化の有する稲作農耕の技術を学び、次第に縄文文化から弥生文化へと移行した。
 わが国の歴史は、縄文時代の後に弥生時代を設定している。ところでこの弥生なる語は、明治十七年(一八八四)三月二日に、現在の地名でいうと東京都文京区弥生の向ヶ岡(むこうがおか)貝塚において発見された、一個の壺形土器を呼んだ仮の名から起こったのであり、さきの縄文時代を表わす縄文なる語が、土器の器面に多用されていた縄目文様に起源を発するのとは趣きを異にしている。
 新しく始まった弥生文化は、さきの縄文文化にはみられなかった金属器と、保存食料として優れているコメを伝来させた。とくにコメは以後の日本列島における生業を根底から覆し、人々を土地に縛りつけるとともに政治・経済の基盤としての地位を確立するのである。
 さきの縄文時代にもコメは伝来し、その終末のころにはすでに栽培を開始していた証拠が北九州で確認されているが、大規模な稲作農耕は、大挙してアジア大陸から渡って来た渡来人による技術であったろう。これら渡来人は在住の人々(縄文人の後裔(こうえい))とは異なる骨格を示し、本州西端や北九州などでその人骨の発見が多い事実はそれを裏付けていよう(1)。