弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(自然・原始)

新編弘前市史 通史編1(自然・原始)

第2章 津軽の原始時代

第三節 縄文時代

一 北方に広がる円筒土器文化

縄文前期の土器編年は、昭和五十二・五十三年(一九七七・七八)の八戸市長七谷地(ちょうしちやち)貝塚における調査で関東地方の花積(はなづみ)下層式に類似する土器(長七谷地第Ⅲ群土器)の発見を契機に進展した(21)。昭和初期に長谷部言人(はせべことんど)によって命名され、山内清男(やまのうちすがお)により細分と編年的位置付けが確定した円筒下層式土器のその後の研究も合わせ、さらに六ヶ所村の表館(1)遺跡ならびに金木町の藤枝溜池北岸で出土した土器を加えて、一応の土器編年は確立した(22)。
 なかでも前期の大半を占める円筒下層式土器は、本県を中心に時間の推移とともに発展した。その広がりは、北をみると津軽海峡を越えて渡島(おしま)半島に上陸し、さらに北へ向かって北上を続け、現在の札幌市を経て北の石狩川にまで達している(23)。一方南下した当該土器は、太平洋側においては岩手県の中部で南から北上して来た大木(だいぎ)式土器と接触し、日本海側でも秋田県中央部で大木式土器と接触し混在している。ところが一部は日本海沿いに南下を続け、富山県氷見(ひみ)市の朝日(あさひ)貝塚(24)や、能登半島の富山湾に面する石川県能都(のと)町真脇(まわき)遺跡でも出土し(25)、その分布が広範囲にわたることを証明した。
 しかしながら遺跡の分布と出土遺物の状況を勘案すると、円筒下層式土器文化は、北方においては渡島半島を越えて室蘭市から北西へ向かい、積丹(しゃこたん)半島の基部(後志(しりべし)の岩内(いわない)町)付近までであり、南は太平洋側では岩手県の田野畑(たのはた)村から西南へ向かって盛岡市に達し、北西へ向かって奥羽脊梁山脈を越え、米代(よねしろ)川の流域沿いの一帯か、あるいは若干南へ下がって八郎潟(はちろうがた)周辺までであろうか。とくに南では、大木式土器と混血して両土器文化の要素をもつ土器(山形県遊佐(ゆざ)町吹浦(ふくら)遺跡出土の吹浦式土器)が誕生しているのである(26)。

円筒下層a式土器
森田村・石神遺跡
(森田村歴史民俗資料館蔵)


円筒下層d1土器
森田村・石神遺跡
(森田村歴史民俗資料館蔵)