弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(自然・原始)

新編弘前市史 通史編1(自然・原始)

第1章 津軽の自然

第三節 津軽平野南部の地形発達

二 弘前市街地の地形

高杉面岩木川以北に分布し、市街地の城東面に対比される。面上には鼻和(はなわ)・富栄(とみざかえ)・独狐(とっこ)・前坂・高杉・糠坪(ぬかつぼ)などが点在し、その北限は廻堰大溜池南縁の笹館まで達しているものと思われる(写真37)。面の高度は鼻和・富栄付近で約三七~四〇メートル、独狐で約三二~三三メートル、前坂・高杉で約二七~二八メートル、糠坪・楢木(ならのき)付近で約一七~二〇メートルであって、平野側に一〇〇〇分の三~五と緩やかに傾斜している。緩傾斜面ではあるが、面上を流れる小谷によってかなり起伏している。ほとんどりんご園として利用されているが、特に鼻和・富栄と、高杉付近の谷底部では水田として利用している。後背湿地とは比高一~二メートルの傾斜面で臨んでいる。
 ボーリング資料によると、構成層の一部には三万二〇〇〇年前に津軽平野に流下した駒木浮石流凝灰岩が確認されている。また、古懸浮石流凝灰岩に相当する粘土質な凝灰質砂層も薄く載り、両層間には泥炭層が厚く堆積したり、インボリューション(19)の発達した約一万五〇〇〇年前の砂層・シルト層堆積している(山口、一九九三)。
 船沢小学校(三八メートル)・船沢中学校⑱(三八メートル)、北辰中学校(二三メートル)・小友小学校(一六メートル)では、おおむね地表下五~六メートル地点に三~五メートルの厚さをもつ泥炭層堆積している。泥炭層の下位には灰白色凝灰質粗粒砂層(N値二一~三四、厚さ五~六メートル)、青灰色の砂質シルト層(N値五~一〇、二~三メートル)、砂礫層(厚さ三メートル以上)の順で堆積している。泥炭層の上位には地表下から、黄灰色砂質粘土(N値二~四、約一メートル)・灰白色軽石粒混じりの細粒砂層(N値二~一〇、二~三メートル)・暗灰色砂質シルト~細粒砂層(N値一一~一三、二~三メートル)の順で堆積している。このうち、最上位の黄灰色砂質粘土は碇ヶ関浮石層に相当し、また軽石粒混じりの細粒砂層中には埋もれ木が含まれることが多く、おそらく泥炭層より上位の各層は湿地性の環境で堆積したものと思われる。
 ところで、高杉面を構成する駒木浮石流凝灰岩に相当する軽石粒混じり粗粒砂層は、砂沢溜池に注ぐ小谷および前萢川流域では標高四〇~五〇メートルまで谷底を埋積していて、弘前市鬼沢を流れる前萢川の谷底においてこの火砕流直下の古土壌中に埋没樹が確認されている(山口、二〇〇〇c)。花粉分析の結果では、針葉樹のモミ属が優占し、同じ針葉樹のトウヒ属や落葉広葉樹のニレ属が比較的高率で伴っている(図18)。この時期における東北地方の森林構成要素としてはトウヒ属が優勢であって、モミ属や落葉広葉樹のカバノキ属やハンノキ属などからなる亜寒帯針葉樹林を形成していたと考えられている(日比野・竹内、一九九八)。
 なお、砂沢溜池内の砂沢遺跡(一六~一八メートル)で検出された弥生時代水田跡は舌状に張り出した中位段丘の稜線部で確認されている(口絵)。水田跡は、谷底を埋積した駒木浮石流凝灰岩が稜線部まで埋積したために形成された平坦面にあって、水田跡下の土層断面でローム層を覆う軽石質砂層を確認している(弘前市教育委員会、一九九一)。