弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(自然・原始)

新編弘前市史 通史編1(自然・原始)

第1章 津軽の自然

第三節 津軽平野南部の地形発達

一 平野南縁の地形

六羽川の東側にあっては、引座川流域の扇状地性の低湿地を除いて黒石面の周辺に分布し、尾上町八幡崎・新屋町、平賀町大光寺・小和森(こわもり)・柏木町・町居・新館・沖館などが位置する。平賀面は、おそらく黒石面が浸食された平川流域を、扇状地性の堆積物火砕流堆積物で新たに埋積し、また舌状にとり残された黒石面を覆うように形成されたものと思われる。一方、浅瀬石川以北にあっては黒石面の前縁部に幅約一キロメートルの帯状の分布を示し、田舎館村東光寺・前田屋敷、黒石市馬場尻(ばばしり)などが位置する。
 六羽川以東では二五~五五メートル、浅瀬石川以北では標高二五~三五メートルで、面の勾配はおよそ一〇〇〇分の八~一〇と黒石面に比較してやや緩やかであり、上位の黒石面からは緩やかに移行する。ただ尾上町高木の、黒石面北縁に分布する平賀面は上位面と比高約三~四メートルの急崖が局部的に認められる。おもに水田として利用され、勾配があることから、階段状に圃場(ほじょう)整備されている。
 ボーリング資料からみると、古懸浮石流凝灰岩および駒木浮石流凝灰岩の二枚の火砕流堆積物から構成されているのが特徴的である。上位の古懸浮石流凝灰岩黒石面の前縁において、下位の駒木浮石流凝灰岩を不整合(17)に覆うように堆積して平賀面を形成している。なお、黒石面を構成する駒木浮石流凝灰岩の浸食面に、有機質粘土層ないし泥炭層堆積していることから、古懸浮石流凝灰岩が流下する前は黒石面の前縁と、尾上および平賀付近は扇状地性の低湿地の環境であったと思われる。
 尾上町福祉保険センター⑫(四三メートル)および猿賀小学校⑬(三五メートル)では、地表直下に古懸浮石流凝灰岩に相当する、軽石粒を含む粘土質な黄灰色細粒軽石層(厚さ約二メートルで、N値八~九)が堆積している。尾上町に位置する五輪野(ごりんの)遺跡の発掘調査では表土直下に碇ヶ関浮石層があり、下位に古懸浮石流凝灰岩に対比される軽石質粘土と軽石質砂を確認している。また、古懸浮石流凝灰岩の下位にも軽石質砂層(厚さ七~八メートル)があって、駒木浮石流凝灰岩に対比される。上半部には軽石粒および径五センチメートル大以下の異質が多量に混入する淘汰不良の暗灰色粗砂層(N値一六~四一)が堆積し、下半部はN値五〇以上の堅固な軽石質砂岩であって、本質的な火砕流堆積物と思われる。上下両層の火砕流堆積物の間には厚さ四~五メートルの未固結の砂礫層堆積し、また駒木浮石流凝灰岩直下にも砂礫層があり、埋れ木を含む暗褐色シルト堆積している。平賀町沖館⑯(四五メートル)・柏木小学校⑰(四二メートル)・平賀町役場⑱(四〇メートル)では上記の各地点と同様な堆積を示しているが、ただ地表直下に有機質粘土(厚さ一~二メートル、N値三~五)の堆積物が認められる。大光寺新城跡は小丘状の平賀面に位置し、発掘調査地点では下位の常盤面と比高三~四メートルの急斜面が認められる。発掘調査で確認した基本層序は、古懸浮石流凝灰岩直上に、下位から軽石密集層と砂層の互層、碇ヶ関浮石層の順で堆積している(山口、二〇〇〇b)。
 浅瀬石川以北の平賀面に位置する、黒石市の運動公園⑥(三三メートル)および田舎館村東光寺⑦(二七メートル)では地表直下に厚さ一〇~一二メートルの古懸浮石流凝灰岩に相当する暗灰色軽石質砂層が堆積していて、尾上付近に比してかなり厚く堆積している。上半部は径〇・五センチメートル以下の軽石粒およびを含む、含水性のある中粒~粗砂層(N値二一~二七)であり、下半部は本質火砕流に相当し、径〇・五センチメートル以下の軽石粒を含む細粒軽石層(N値三八~四七、一部で五〇以上)となっている。厚さ一~二メートルの茶褐色を呈する有機質粘土あるいは未分解の植物遺体を含む黒灰色の腐植土(N値一〇~一二)を挟んで、さらに下位には駒木浮石流凝灰岩に相当する軽石質砂層が一〇メートル以上に及ぶ厚さで堆積している。砂層中部の暗黒灰色粘土(N値約七)を境に、上部は厚さ四~五メートルの軽石粒および小を多量に含む中粒~粗粒砂層(N値五〇以上)であり、下部は厚さ約五メートルの軽石質細粒~中粒砂層(N値五〇以上)である。
 なお、上位の黒石面平賀面を構成する古懸浮石流凝灰岩および駒木浮石流凝灰岩の各火砕流堆積物底部の勾配をみると、いずれも尾上および平賀付近で一〇〇〇分の四~五と平野部に緩やかに傾斜するが、浅瀬石川以北では一〇〇〇分の八~一〇とやや大きく傾斜している。
 弘前市の石川城跡発掘調査では、平賀面を構成する軽石質砂層に未分解の流木が含まれているのを確認しているが、年代測定の結果、約一万二六〇〇年前の数値が得られている。約一万三〇〇〇年前の古懸浮石流凝灰岩を含め、山地から供給された多量の土砂によって平賀面が平野南縁に展開していたものと思われる。かつて扇状地面上を平川浅瀬石川、そして引座川などが網状に流れていたものであって、平川浅瀬石川ではクロスラミナ(18)の発達した薄い砂礫層を挟む軽石質砂が目立ち、ほかの流域では軽石粒を含む粘土を主体とした堆積物が目立っている。