弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

通史編1(自然・原始)

新編弘前市史 通史編1(自然・原始)

第1章 津軽の自然

第三節 津軽平野南部の地形発達

一 平野南縁の地形

大鰐町駒木の駒木沢で確認した火砕流堆積物は、軽石粒および亜角~亜円の本質的な岩片が密集していて、堅固で淘汰不良の砂質凝灰岩である。流下時に取り込んだ異質の混入も多い。全体的に古懸浮石流凝灰岩よりも本質岩片の粒径が大きく混入量も多く、また軽石粒の混入も多い。厚さは一五メートル以上である。重鉱物組成では磁鉄鉱・紫蘇輝石・普通輝石の順に多く含まれ角閃石を欠いている。図19に示したが、井戸沢や沖浦など浅瀬石川流域においても、火砕流堆積物丘陵前縁にあって、基盤に張りつくように堆積したりしていることから、火砕流の流下時には各流域を埋め尽くしていたと思われる。年代測定では約三万年前の数値に集中している。平川および浅瀬石川流域にみられる火砕流堆積物駒木浮石流凝灰岩と呼称し、大不動浮石流凝灰岩に対比される(山口、一九九三)。

図19 浅瀬石川流域での火砕流堆積物の確認地点(5万分の1津軽地域広域市町村圏図〈国土地理院承認番号 平元、東複第8号〉を使用)

 写真32は浅瀬石川ダム東岸の沖浦橋付近に分布する軽石質砂岩であるが、堆積物上面は標高二三〇メートル以上あり、標高約二〇〇メートルのダムの湖水面からみても三〇メートル以上の厚さをもつ。この軽石質砂岩は全体的に塊状で、径三~一五センチメートル大の灰白色軽石および亜円~亜角の異質(径五センチメートル大以下)を多量に含んでいる。この堆積物はダム湖南端に流れ込む深沢でも認められ、標高約二五〇メートルあり、異質の混入もなく均質な塊状の軽石質凝灰岩となっていて、地表直下には風化により粘土化した軽石粒が目立っている。これはV字状の深沢を埋積するように逆流し、比重の軽い軽石粒が集中したからと判断される。沖浦での軽石質砂岩と深沢での軽石質凝灰岩から採取した炭化物の年代測定では、前者が約三万年前、後者が約二万五〇〇〇年前の測定値が得られている。重鉱物組成ではいずれも磁鉄鉱・紫蘇輝石・普通輝石の順で多く含まれ角閃石を欠いている。

写真32 浅瀬石川ダム湖岸に分布する沖浦軽石質砂岩

 浅瀬石川支流の中野川においても火砕流堆積物を確認している。上流の大川原から浅瀬石川との合流地点である南中野まで丘陵地に張り付くように分布し、近くの黒森下(くろもりした)遺跡は火砕流凝灰岩からなる小丘上に位置している。特徴は径五~三〇センチメートル大の軽石粒を多量に含む砂質の軽石質凝灰岩で、全体的に塊状で堅固である。一〇メートル以上の厚さをもち、約三万四〇〇〇年前の年代測定値が得られている(表4)。この凝灰岩の上には厚さ約三~四メートルの火山泥流(8)の要素をもつ紫灰色の塊状の軽石質砂層が載っていて、重鉱物組成では火砕流堆積物と同じく角閃石を欠いている(写真33)。なお、駒木浮石流凝灰岩平野部での分布が少なく、浅瀬石川に臨む段丘崖、平賀町尾崎、弘前市薬師堂など丘陵の縁辺において断片的に確認できたのみである。ボーリング資料からみると、後述のように平野部への出口にみられる扇状地を形成している。

写真33 黒石市中野川流域に分布する井戸沢軽石流凝灰岩。上部に火山泥流状の砂層が堆積する。

 ところで、浪岡町を流れる浪岡川および正平津川流域にも五本松付近を扇頂部とする開析扇状地が分布し、面上には浪岡城跡が位置している。この扇状地を構成する火砕流堆積物を五本松軽石流凝灰岩(山口、二〇〇〇a)と呼ぶが、年代測定では約二万九〇〇〇年前の数値が得られている。重鉱物組成においては角閃石を欠き、駒木浮石流凝灰岩に対比される。
 中川ほか(一九七二)によると、十和田カルデラに起因する火砕流堆積物の放出量は各回とも同規模であると見積もっているが、津軽平野へ流下した規模を、浅瀬石川および平川流域での埋積量から判断すると、駒木浮石流凝灰岩をもたらした噴火規模が古懸浮石流凝灰岩よりも大きいことが理解できる。