北広島市/デジタル郷土資料

ふるさと採話集

第十一話◇はっはっは~輪厚のむかし~

 
 お葬式もね、その家で。
 そのほら、花。四華だかって…花ね。白い…。あれは、買ってきたのかな。なんせ、死んだったら、まずね、墓地で焼くわけでしょ。俺の子どもの頃は、焼いたのもあったし土葬もあったね。俺、覚えてるのは、昔は寝ないんだよね。座棺って言って、座らしたもんなんです。桶ではなくて、四角い箱。馬車に積んで行ったんだわ。だいぶ後からだよ、寝棺になったのは。それを、焼いたりさ。
 
 やっぱり焼くのは今と同じさ。法律で二四時間は駄目だった。そして、墓地へ持って行って、焼くわけだからね。墓地の火葬場で焼くし。
 
 大曲の墓地にも火葬場があったの。輪厚にもあるしね。竹山でなくて、そこの三愛病院ちょっと行ったところに焼くとこあったの。
 
 なんせね、昔は、亡くなったったら集って、それぞれ家の周りで山あったから、その人の山で焼く木を作るわけ。火葬場へ持って行って焼く木をね、そこの家の山の木で作って。
 生木。生木を焼いたんだね。多少、枯れ木も持って行っただろうけどさ、火付くまでは。それから今度は、どんどん持ってきた生木を入れたんでないかな。
 
 野っぱらで焼いていた記憶はないね。やっぱり、窯で焼いたんですよ。だから、その座棺で焼くようになっててね、あんまり奥行きのないやつに。寝棺になったらさ、奥の方はね、飛び出してしまったんだとか、何だとかっていう話。途中で合わせなきゃなんないとかね、何度かしょっちゅう裏へ回って見たとか、体が弾ける時は凄いとか、いろいろ話は聞いたけどさ。俺は、火葬場行って、一回も焼いたことないもん。
 
 だから、座棺の場合は、なお、そうだろうというような気がするんだけどね。寝棺の場合は、もう足伸ばしちゃってるからね。
 それからね、まぁ、馬車に積んで行くわけだけど、隊列が歩いて行くわけだよね。そうするとね、角、角にね、普通の竹を尖らかせてね、大根を輪切りにして台にするんだな。で、その上に蝋燭を乗っけて、角に立てて行ったもんだもね。それは、よく子どもの時あったわ。竹を尖らかして…。
 道路の角行ったらね、どう言うんだろう。間違って帰って来ないような、おまじない。帰って来るのに、間違えないためだか知らんけども。
 
 大根に刺すわけね。真中に刺してね。受け台になるわけだ。その上に蝋燭を立てて、別に火を灯すわけでない。そして、角、角に立てた。行く道の曲がる角に刺してあった記憶があるね。
 
 内地を見ると、全然また北海道とお葬式の方法違うでしょ。あっ、それからね、そこの家の人は、白を着たわ。白装束ね。記憶がある…白装束。今は誰も白を着ないけど。写真もある。
 
 ご馳走は、周りの人がみんなで煮しめ作ったり。だから、うちの町内会でもね、弁当なんていうのはね、あんまり作らないでさ、みな、町内会の人が照導寺に行ってね、通夜の晩食べるものと翌日の朝食べるもの作ってさ。火葬場行って、こっちでお昼ご飯食べて、「できたよ」って通知くると、また行ってお骨拾って。
 でも、町内会の人に、そういう知った人がいなきゃね。俺はね、町内会長ね、三五歳ぐらいでさせられたんだ。それまでは、親父が全部行ってたわけでしょ。とたんに、なったからたって葬式どういう順序でやるかなんて、全然順序がわかんない。はっはっは。年寄の人に横へ座っていてもらって、次は何だって、ちゃんと指図してもらった。
 
 まぁ、ここなんかは、新しい人が少なくて、いまだに古いからさ、血は繋がってなくても、この町内会みんな、親子兄弟だから。よそん家から見たら、喧嘩でも始まるんでないかって言葉やり取りしてるんだ。何も、それは普通なんだわ。