北広島市/デジタル郷土資料

ふるさと採話集

第十話◇北広島のたたみやさん

 
 姉の家がたたみやだったこともあったからかな…私は六年生の時からたたみやをやろうという決心がしてあったの。
 うちは農家やっていて、私が卒業する前の年の一〇月かな。兄貴が、ツキサップの二五連隊に現役で引っ張られたの。高等二年を出てすぐ行こうと思ったら、兄貴が兵隊に行ったでしょ。その為にね、兄貴が満期になって帰って来るまでの二年間はね、農家の手伝いさ。
 
 弟、妹ちっさいんだしさ。すぐの妹なんて死んじゃってるでしょ、小さい時にね。だから私が卒業したら、すぐたたみやに行くんだって言っていたのが結局二年間遅れたわけさ。
 その頃、少し親のこともやっぱり考えて来たんでないだろうか、私としては。で、このじいさん、ばあさんを置いてね、それにあとはちっちゃいのばっかり、ゴロゴロでしょ。それを置いてね、「俺はとても百姓をしないで、手伝わないで、奉公には行かれない」と思ったのさ。それで兄貴がいない一六から一七の頃は、家で農家の手伝いをしてたのさ。
 水田がね約一町歩ちょっとね、二、三反ぐらい。畑は五町歩くらい。両親と私と三人でやってたの。私は馬が好きだったからね、仕事がわかんない馬を引っ張り出して教育したの。その時、馬の手入れやなんて六年生かそこらの時でももうビカビカに手入れしてやったほうなんだ。好きだったからね、馬がね。
 
それで、一〇月のね、一〇日頃だったろうか。兄貴が二年勤めて帰って来たわけさ。兄貴は帰って来たんだし、一一月のね二二日に、父親に連れられて札幌まで行って、そしてお願いしますということで。
 だから六年生の頃から、もう職業っていうのは私には決まっていたから。