北広島市/デジタル郷土資料

ふるさと採話集

第七話◇島松の軟石

 
 大正時代に来ました。
 えーとね、私の一番上の兄弟が、大正五年くらいの生まれなんですよね。だから、その前に結婚してるから、大正二、三年頃に(両親は)結婚したんでないかと思う。
 明治二一年生まれですね、親父は。一一月だったかな。母親は二九年なんですよ。だから、八つ違うんですよ。うちはね、福井県から来たの。福井県にも、青い石が出るんですよ。軟石よりも、ちょっと硬いかな。先祖っていうか、そっちの方でも、山から石切り出してたっていう話はちらっと聞きましたけれども。
 
 (親父は)札幌からこっちに来たんでしょうね。札幌で石屋覚えたんだから。親父はきっと札幌で職人になって、三〇くらいの時に結婚したとかっていう話。三〇近くって言ってましたね。
 
 その頃は結構ね、この辺にも家がずっとあったそうですよ。店も何軒もあったとかって。中寄さんもあるし、その昔、高柳商店だとか、その向かいは煙草屋さんで谷っていう家だったんだけど。中村でないし、なんとか旅館て言ったな。なんか旅館もあったんだ。
 中寄さんは雑貨屋さん。その人、家族の人で店やって、今の旦那は私と同級生なんですけども、その人が石を山から切り出して何年もやってましたよ。店の傍ら石屋やってたんですよね。高柳さんは何やったのかな。なんか、食料品かなんかだったと思いますけどね。
 
 鉄道なかったし、室蘭から札幌までの道路ですから、しょっちゅう馬で荷物運んだりして、ここ通ったんですね。賑やかだったらしいですよ。
 
 親父が島松沢の石屋さんの一番初めではないんですけどね。ここに資料(『百年一〇〇話~恵庭の風になった人々~』(1))があるんですけども、ここにちょっと出てるんですよ。
 
 これにはですね、吉田さんて言う人がね、この近くの山から石を採ったんだって書いてあるんですよね。一番最初は吉田総太郎さんていう方の父親で、大正の末頃って書いてありますが、これはあまり話合わないですね。私の兄弟で、大正一二年に二歳で川で流れて亡くなった姉がいるんですよ。それがここで死んでるから、もう来てたってことになるね。ですから、この吉田総太郎さんていう方の父親って書いてあるけど、この人だったら、まだ早くだったと思いますよ。
 
 母はね、出身は深川なんだけども、札幌に来て、札幌で結婚してから、札幌の市立病院通って助産婦の免許取って、そして、ずっと助産婦やってたんですよ。だから、若本さんも「俺、小川さんの婆ちゃんに取り上げてもらったんだ」ってちゃんと言っていますよ。広島の産婆さんでは古い方かもしれませんね。昭和一〇年頃には、助産婦の資格取って、もうこっち来とったはずだから。
 
 兄弟。まぁ、早く亡くなったのもいるけど、一〇人くらいいましたからね。私の兄貴二人いたんだけども、一九歳くらいの時、両方共亡くなって、一番上の兄貴は札幌の昔の工業高校ですか、四年生くらいの時に亡くなったのかな。残ったのはクズばっかりで。私は男で三番目。姉が一人、二人、三人亡くなってるんだな。だから六、七番目ですね。あと下に男二人いますけども。
 
 

 
(1)恵庭昭和史研究会(編) 平成九年三月 第四二話「値千金島松軟石」を指す。