北広島市/デジタル郷土資料

きたひろ昔話

子どものための広島むかし話 その参

 
 私がここへお嫁にきたのは、昭和三年三月の雪の降る日でした。島田(髪の形)結ってきたけど、島田の上に雪がつもって、落せど落せど雪がつくので大変でした。その上馬ソリがひっくり返ったりして、全身雪だるまでしたよ。そのころは見合いするでもなく、親が決めて、ゆけと言ったら本人の考えなどおかまいなしに、ゆかねばならなかったのです。私は荒井の家にきて、翌朝、起きてみたら、男の兄弟が五人も、ずらっとおるでしょ。どれが自分の夫か、わからなかったです。昔はそんなものでした。
(輪厚 荒井三八子)

 婚礼に馬ソリで、嫁さんの送り迎えをたのまれるほど、いやなものはなかった。馬ソリは安定性がないし、春先になると雪道がわるく、その上部落の青年たちがいたずらして、馬ソリがひっくり返るような、仕掛けがしてあったりしたもんです。それで、始終、気を配って行ったものでした。無事着くと、ご祝儀がもらえてやれやれでした。
(下仁井別 若木政喜)

 三月はじめ、長沼の舞鶴から仁井別まで、お嫁さんを馬ソリで送ったことがあります。そのころ輪厚小学校の表の坂が、ひどく急で傾いていて、雪は深いしずいぶん苦労しました。その当時は、夏秋は農家がいそがしく、三月の婚礼というのが多かったものでした。
(広島 浜田義夫)