北広島市/デジタル郷土資料

きたひろ昔話

子どものための広島むかし話 その参

 
 明治二十七年(一八九四)中の沢の岩見田登一さんら五、六名の方が、中の沢の戸外で芝居を呼んで村の人に見せたのが、興行のはじまりといいます。それからは毎年一回か二回、どこかの家を借りたり、または戸外で芝居を興行していました。どんな芝居であったのか、記録がないのでわかりませんが、ほかに何の娯楽もない当時のこと、村の人々が楽しみにして集ったことは「一家こぞって来集す」と村史に記されているところです。きっと馬に乗ったり、馬車に乗ったり、あるいは歩いて来て、芝居のはじまるのを待ったことでしようね。その後、明治四十二年(一九〇九)押見弥十郎さんら五、六名で、いまの共栄に、劇場広盛館を建て、時々芝居を見せていました。大正七年(一九一八)鉄工場を持っていた柳沢一郎さんが、この劇場を引き受けて、場所を移して、映画などを上映したといいます。広盛館は二階があり、下は長イスだったと思います。毎日ではなく、時々の興行でチャップリンの映画なども来ましたよ。当時は白黒の声の入らないもので、弁士がつき楽士がいたんですよ。そのころは活動写真とか、活動大写真とかいいました。
(広島 山本優)

 子どものころ、広盛館で芝居を見たことがあります。腰にたくさんの刀をさしていて、切られても切られても次々に腰の刀を抜いては戰うのがおかしくて思い出に残っています。広盛館のことについては、はっきりと思い出せません。
(富ヶ岡 石橋豊次郎)