北広島市/デジタル郷土資料

きたひろ昔話

子どものための広島むかし話 その弐

 
 北広島団地ができる前は、あのあたりを高台といっていました。たくさんの菜の畑があり、菜の花を目当てに、本州から蜂屋さんが回ってきました。ある年畑仕事中の山辺さんの馬が、蜂のいる箱にさわったためか、蜂の群に襲われて死ぬということがありましたよ。山辺さんも蜂にさされたが、逃げて助かったそうです。昭和二十九年、私のところでは亜麻の耕作が最後となり、昭和三十年からは、ナタネがふえています。
(南の里 沖中武雄)

 昭和三十四年、私のところでもナタネ三反歩(三十アール)を作っていましたよ。大曲の長谷川さんの納屋では、百俵のナタネを見たことがあります。ナタネは初めはよくできるのですが、連作を嫌い土地もやせていくので、昭和四十年代には広島から菜の花畑も消えてしまいました。
(富ヶ岡 石橋豊次郎)

田園風景の菜の花畑
 みなさんは、「菜の花畑に、いり陽うすれ」という唱歌を知っていますか。黄色い菜の花畑にチョウチョウがきて、のどかな田園風景が、あちこちに見られたものでした。ナタネは開墾地によいと奨励され、大正八年村内で、ナタネの売り上げは三万円でした。昭和三十年ころ、村内のナタネ耕作は二五〇ヘクタールから三〇〇ヘクタールでした。(大正八年巡査の初任給 二十円)