北広島市/デジタル郷土資料

きたひろ昔話

子どものための広島むかし話 その弐

 
 大正時代の中ころは、広島でも土地を肥やすためにも、牛を飼う人がふえて、堆肥作りが進められていました。大正十年ころは、牛の敷きわら用に恵庭までワラを買いにいく人もいました。江別や札幌へ人糞をもらいに行く人もいたんです。堆肥場は春先には、発酵して中は温かいので蛇が巣を作ったりしました。堆肥を畑に運ぶのに崩していくと、親蛇と子蛇がニョロニョロと出てきたり、連なった卵が出てきたりして、気持悪かったもんですよ。
(富ヶ岡 石橋豊次郎)

 あのころはどうしてか、蛇が多かったね。シマ蛇やカラス蛇もいました。小屋の二階の草のなかから、ニワトリの卵を飲んだ蛇が、下に落ちて、飲んだ卵を割るんですね。蛇って頭がいいのにおどろきました。キジが増えるようになると、蛇が少なくなっていったようです。
(富ケ岡 岩本国市)

 入地してからしばらくは、肥料無しでもよかったのですが、だんだん土地がやせてきて、魚カスや豆カスを買って使うようになりました。豆カスは中の沢の押味商店から買いましたが、豆カスは板状になっていてかたいのでほぐすための道具を使ったものでした。
(北の里 片桐政教)